こんにちは!
今日は、立花双璧について紹介したいと思います!
立花双璧に選ばれたのは、
小野鎮幸(おのしげゆき)
由布惟信(ゆふこれのぶ)
の2人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
小野鎮幸
小野鎮幸とは、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。
立花氏、加藤氏の家臣。
日本槍柱七本・立花四天王の1人に数えられる。
また和泉守であることから小野和泉とも呼ばれる。
「剛勇にして智謀あり」と伝わる智勇兼備の武将で、生涯で22度の大戦、多数の小戦に参加して全身刀や槍、矢、鉄砲による67ヶ所の傷を受け、大友氏・立花両家から合計68枚の感状を受けた。
家中に由布惟信と共に、道雪から孫子兵法の「奇正相生」を引用しての奇と正の両翼として立花双翼と称揚され、鎮幸は奇の将を任じた。
筑後国柳川城の城主となった道雪の子・宗茂からは家中で最高の5千石の禄高を賜り、次席家老を務め、蒲池城主となった。
文禄・慶長の役にも参加し、数々の武功を立てていて、豊臣秀吉から日本槍柱七本の筆頭として讃えられた。
由布惟信
由布惟信とは、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。
立花氏の家老で立花四天王筆頭とされる、道雪七家老の第五座。
立花氏時代の棚倉藩重臣。
由布惟巍の次子として誕生。
元々は大友氏の家臣で豊後国速見郡湯布院城主であったのだが、戸次鑑連に付き従う際に兄・碁晨に家督を譲り、残りの人生を立花氏の為に尽くす。
「天資英邁にして剛毅也」と伝わる、立花道雪の重臣として65回の合戦に参加し65ヶ所の傷を受け一番槍、一番乗り、一番首は数知れず、感状は70通程賜るなど武勇を誇った。
家中に小野鎮幸と共に、立花道雪が孫子兵法の「奇正相生」を引用しての奇と正の両翼として立花双翼と称揚され、惟信は正の将を任じた。
如何でしたか?
立花道雪は、戦国好きの中では比較的人気がありますが、世間一般ではマイナーな人物ですね。
活躍した戦国大名の家臣には、優秀な人物がいるものですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!