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大坂の左右の大将って誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、大坂の左右の大将について紹介したいと思います!

 

大坂の左右の大将に選ばれたのは、

鈴木重意(すずきしげおき)

下間頼廉(しもつまらいれん)

の2人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

鈴木重意

 

 

鈴木重意とは、戦国時代の紀伊国の国人。

雑賀党鈴木氏の武将。

通称は孫市。

重意の名が表れる資料は、江戸時代前期に紀伊守護職畠山氏の旧臣らが編纂した軍記物「畠山家譜(泰国家譜)」である。

重意の史料上の登場は以上で、具体的な活躍等については記述が無い。

通称の孫市(孫一)の名と、活動年次から見て、鈴木重秀と同一人物と考えられている。

 

 

 

 

 

下間頼廉

 

 

下間頼廉とは、戦国時代から江戸時代の僧侶、武将。

石山本願寺の坊官。

下間頼康の子。

母は下間頼次の娘。

子に頼亮、宗清、仲玄、下間仲世室、牧長勝室、端坊明勝室、川那部宗甫室。

幼名は虎寿、通称は源十郎、右衛門尉。

剃髪し刑部卿と号す。

法名は了入、了悟。

法橋、法眼、法印に任ぜられる。

本願寺法主顕如に仕え、織田信長との石山合戦では鈴木重秀雑賀孫一)と共に本願寺軍の武将として織田軍を苦しめた。

この為、「大坂之左右之大将」と呼ばれたと言う。

しかし、単なる軍事指揮官だけではなく、天正4年(1576年)に七里頼周が加賀にて無法を行なった時には、それを改めるよう文書を発する等、内政面においても重きをなしていた。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

雑賀孫市と言う名前は、知っている人もいると思いますが、その他の人物や孫市の本当の名前については、非常にマイナーですね。

史料が少ないため、史実を知るのは中々難しいですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!