いつか役に立つかもしれないムダ知識

生きていく上では必要ではない雑学や知識を投稿していきます。クイズなどにも役立つかもしれません。

日本三大中華街って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、日本三大中華街について紹介したいと思います!

 

日本三大中華街に選ばれたのは、

横浜中華街(神奈川県横浜市)

神戸南京町(兵庫県神戸市)

長崎新地中華街(長崎県長崎市)

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

横浜中華街

 

 

f:id:mudachishiki4510:20260419113409j:image

 

 

横浜中華街とは、神奈川県横浜市中区山下町にある中華街である。

日本最大かつ東アジア最大の中華街で、前身である1866年(慶応2年)の横浜新田居留地時代から数えると150年強の歴史を持つ。

約0.2㎢のエリア内に500店以上もの店舗があり、その時々の流行によって頻繁に入れ替わっている。

1955年以前は唐人町や南京町と呼ばれていた。

華僑の出身地は広東省が比較的多いが、中国各地に分散している。

上海路、中山路、福建路等、地名を冠した路地が交差しており、各路地には、当該地の出身者が多い。

所在地である中区の中国人人口は6,000人を超える。

これは同区で登録されている外国人の約4割に当たる。

 

 

 

 

 

神戸南京町

 

 

f:id:mudachishiki4510:20260419113431j:image

 

 

神戸南京町とは、兵庫県神戸市中央区にあるエリアであり、元町通と栄町通に跨る一帯を指す。

南京町商店街振興組合の登録商標でもあり、中国風の意匠を特徴とする中華街である。

なお、南京町は通称としての地名で、住所表記としての地名では無い。

横浜中華街、長崎新地中華街と共に、日本三大チャイナタウンの1つに数えられ、東西約200m、南北110mの範囲に100余りの店舗が軒を連ねる。

店頭の路上で点心、菓子、食材、記念品等を売る店も多く、休日は地元の買い物客や観光客で賑わう。

「南京町」という用語は、かつて中国人街を指す一般名称であった。

しかし、その殆どは第二次世界大戦後に改称した為、現在では事実上神戸のこの地区のみを指す固有名詞となっている。

南京町の中央通りは、十字路になっていて、中央の広場には「あずまや」、東は「長安門」、西は「西安門」、南は「海栄門」という名前の門があり、北は元町商店街に繋がる。

午前10時頃から一部の店が開き始めるが、車両通行禁止になる午前11時までは、納品車両が行き交う。

日が暮れて夜になると、「長安門」や「あずまや」はライトアップされる。

 

 

 

 

 

長崎新地中華街

 

 

f:id:mudachishiki4510:20260419113502j:image

 

 

長崎新地中華街とは、長崎県長崎市新地町に形成された中華街である。

横浜中華街、神戸南京町と共に日本三大中華街と称される。

江戸時代中期に埋め立てられた「新地」に作られた中華街。

横浜中華街に比べると小規模であるが、長崎の歴史が表れる一角である。

南北250mの十字路には長崎市の姉妹都市である中華人民共和国福建省福州市の協力によって石畳が敷かれ、中華料理店や中国雑貨店等、約40軒が軒を連ねている。

中華街の四方、東西南北の入口には中華門(牌楼)が立てられている。

これらの門は、1986年(昭和61年)に商店街の振興組合が発展の願いを込めて建てたもので、資材は福州市から取り寄せ、建築も現地の職人によるものである。

四神がモチーフとなっており、風水学に基づき配置が決められている。

門の敷石に彫られている四神は五行に基づき色が定められており、それぞれ東西南北を司っている。

北門に掲げてある「長崎新地中華街」の書は、門の建設当時中日友好協会名誉会長であった王震によるものである。

町はアーチ型のイルミネーションで飾られている。

毎年旧暦の正月に当たる春節時には隣接する湊公園がランタンフェスティバルのメイン会場となる。

また、旧暦の8月15日に当たる中秋節には黄色い提灯1000個が灯される。

表通りは人通りが多く華やかで比較的規模の大きな店が多いが、裏町と呼ばれる路地には入口も目立たず人も殆ど通らず店舗も小規模なものを僅かな数だけ設けるスペースしかない。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

横浜が1番有名ではありますが、神戸と長崎も知られてはいますね。

近年は、食べ歩きなどで休日には非常に賑わっている印象があります。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!

 

 

 

雪月花の三名園って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、雪月花の三名園について紹介したいと思います!

 

雪月花の三名園に選ばれたのは、

北野天満宮(京都府京都市)

妙満寺(京都府京都市)

清水寺(京都府京都市)

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

北野天満宮

 

 

f:id:mudachishiki4510:20260412104919j:image

 

 

北野天満宮とは、京都市上京区にある神社(天満宮)。

二十二社(下八社)の一社。

旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

旧称は北野神社。

神紋は「星梅鉢紋」。

通称として天神さん・北野さんとも呼ばれる。

全国の天満宮、天神社、菅原社等は約1万2000社もあり、福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。

近年は学問の神として多くの受験生から信仰されている。

梅苑「花の庭」について、明治時代までこの地には、北野社神宮寺成就院(成就坊)があり、そこには俳諧の祖と仰がれる松永貞徳が作庭した庭園「花の庭」があった(一説には祇園にあったともされる)。

「花の庭」は、妙満寺塔頭・成就院の「雪の庭」(現在は本坊の庭)、清水寺塔頭・成就院の「月の庭」とで、成就院「雪月花の三名園」と呼ばれていたが、明治時代に成就院が廃されると「花の庭」も壊された。

しかし、2022年(令和4年)に残されていた庭石を利用して「花の庭」が復興された。

 

 

 

 

 

妙満寺

 

 

f:id:mudachishiki4510:20260412104947j:image

 

 

妙満寺とは、京都市左京区岩倉にある顕本法華宗の総本山の寺院。

山号は妙塔山。

本尊は三宝尊。

安珍・清姫伝説ゆかりの鐘があることで知られる。

妙満寺を創建した日什は、もと天台宗の学頭で名を玄妙と称した。

68歳の時に上洛して後円融天皇へ上奏し「二位僧都」の位と「洛中弘法の綸旨」を賜った。

室町時代、日什は天王寺屋通妙の外護を受けて妙満寺を建立した。

安土桃山時代から江戸時代にかけて争乱等により移転と再建を繰り返した。

近年、門前に3,000株の躑躅が植えられて、花の寺として親しまれている。

塔頭が4院ある(成就院、正行院、法光院、大慈院)。

現住は308世奥村日拝貫首(大阪府茨木市法華寺より晋山)。

庭園「雪の庭」は、俳諧の祖と仰がれる松永貞徳が、門人であった塔頭・成就院の住職日如に請われて造営した庭園。

清水寺塔頭・成就院の「月の庭」、北野天満宮(一説には祇園)にあった神宮寺・成就院の「花の庭」(2022年1月再興)とで、成就院「雪月花の三名園」と呼ばれた。

1968年(昭和43年)に寺町二条から現在地に移転する際そのまま移したもので、移転後は本坊の庭園となっている。

なお、2022年(令和4年)に北野天満宮に「花の庭」が復興された。

 

 

 

 

 

清水寺

 

 

f:id:mudachishiki4510:20260412105111j:image

 

 

清水寺とは、京都市東山区清水1丁目にある北法相宗の大本山の寺院。

山号は音羽山。

本尊は十一面千手観世音菩薩。

正式には音羽山清水寺と号する。

もとは法相宗に属していたが、現在は独立して北法相宗を名乗る。

西国三十三所第16番札所。

洛陽三十三所観音霊場第10から14番札所。

境内(敷地面積)は約13万㎡。

清水寺は法相宗(南都六宗の1つ)系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ京都では数少ない寺院の1つである。

また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)等と並び、日本でも有数の観音霊場である。

鹿苑寺(金閣寺)、嵐山等と並ぶ京都市内でも有数の観光地として有名であり、季節を問わず多くの参詣者が訪れる。

また、修学旅行で多くの学生が訪れる。

古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されている。

清水寺の宗旨は、当初は法相宗で、平安時代中期からは真言宗を兼宗していた。

明治時代初期に一時真言宗醍醐派に属するが、1885年(明治18年)に法相宗に復す。

1965年(昭和40年)に住職であった大西良慶が北法相宗を立宗して法相宗から独立した。

庭園「月の庭」(国の名勝)は、池泉回遊式庭園。

室町時代に相阿弥によって造られ、後に小堀遠州によって改造され、最後に俳諧の祖と仰がれる松永貞徳が作庭した庭園。

妙満寺塔頭・成就院の「雪の庭」(現在は本坊の庭)、北野天満宮(一説には祇園)にあった神宮寺・成就院の「花の庭」(現存せず)とで、成就院「雪月花の三名園」と呼ばれた。

なお、2022年(令和4年)に北野天満宮に「花の庭」が復興された。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

松永貞徳は、俳諧のみならず庭園を作ることにも関わっていたようですね。

平安時代などに建てられた寺院に江戸時代の人物も関わっているという歴史がまた面白いですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!

 

 

 

奥州三名湯って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、奥州三名湯について紹介したいと思います!

奥州三名湯は、 奥羽三名湯とも言われることがあります。

 

奥州三名湯に選ばれたのは、

鳴子温泉(宮城県大崎市)

秋保温泉(宮城県仙台市)

飯坂温泉(福島県福島市)

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

鳴子温泉

 

 

f:id:mudachishiki4510:20260329094843j:image

 

 

鳴子温泉とは、宮城県(旧国陸奥国、明治以降は陸前国)大崎市鳴子温泉にある温泉。

栗駒国定公園内に位置し、福島県の飯坂温泉、宮城県の秋保温泉とともに奥州三名湯に数えられる。

国民保養温泉地。

また、玉造郡旧鳴子町にあたる現在の行政地名。

厳密には「鳴子温泉」の大字はなく、旧鳴子町の大字「鳴子町(大字)○○」が「大崎市鳴子温泉○○」の大字となっている。

仙台弁をはじめとする東北弁の発音から、「なるご」と濁音で呼ぶ者も多い。

鉄道駅も旧駅名では「鳴子駅(なるごえき)」と濁っていたが、1997年の改称時に「鳴子温泉駅(なるこおんせんえき)」と濁らないものに変更されている。

「ナル」は山腹または山裾の傾斜の緩い所。

古代から中世にかけては「玉造湯」と呼ばれた。

江戸期に入り、仙台藩領を示す「仙台」を冠して「仙台鳴子の湯/仙台成子の湯」と呼ばれた。

近隣の温泉地を総称して「玉造八湯」と呼ばれた「鳴子(湯元)、河原湯、元車湯、新車湯、中山、赤湯、田中、川渡」のうち、「鳴子(湯元)、河原湯、元車湯、新車湯」の四湯が現在の鳴子温泉として数えられる。

「かっけ(脚気)川渡、たんせき(胆石)田中、せんき (疝気)車湯、かさ(瘡)鳴子」と称され、鳴子は特に皮膚に効くとされた。

鳴子温泉街は鳴子火山群北西の麓の標高150-200 mに位置している。荒雄川を挟んで北西に花渕山が向かい立つ。

鳴子温泉駅前から滝の湯方面並びに線路や国道47号と平行に温泉街が広がっている。

大型ホテル、旅館や湯治宿等、色々なタイプの宿が存在する。

駅前には足湯や手湯も存在する。

湯元・新屋敷は、鳴子温泉駅の南側、鳴子火山群の麓に位置する。

車湯は、新屋敷の東側、荒雄川(江合川)南岸に位置し、国道47号に並行して温泉街を形成する。

水車で浴室へ引湯をしていたことが名の由来。

河原湯は、鳴子温泉駅の北側、荒雄川(江合川)南岸に位置し、国道47号に並行して数件の宿が点在する。

下駄履きで温泉街を歩いて巡る「下駄も鳴子」というキャッチフレーズを打ち出しており、各旅館には宿泊客への貸し出し用の下駄が備えられている。

鳴子温泉駅の観光案内所でも町歩き用の下駄を貸し出している。

毎年9月に温泉神社で献湯式が行われる。

献湯式では源泉の所有者が持参した湯を神社に奉納し、自然の恵みへの感謝と鳴子温泉の繁栄を祈願する。

 

 

 

 

 

秋保温泉

 

 

f:id:mudachishiki4510:20260329094911j:image

 

 

秋保温泉とは、宮城県仙台市太白区秋保町湯元(旧国陸奥国、明治以降は陸前国)に位置する温泉である。

仙台都心からも近い為、宿泊のみならず、日帰り入浴にも利用されている。

同じ宮城県の鳴子温泉、福島県の飯坂温泉とともに奥州三名湯の1つとして数えられる。

また、古くは「名取の御湯」と呼ばれ、兵庫県(摂津国)の有馬温泉や愛媛県(伊予国)の道後温泉と並んで「日本三名湯」の1つに数えられた。

仙台都心から見て西南西、旧秋保町内の東西に長い秋保盆地にあり、名取川が形成した河岸段丘の段丘面上に温泉街が広がる。

温泉街付近では、段丘崖と名取川により磊々峡と呼ばれる渓谷が続く。

秋保温泉旅館組合に加盟する温泉宿泊施設(旅館・ホテル)は名取川右岸(南岸)に殆どがあるが、観光案内所の機能も持つ「秋保・里センター」或いは秋保温泉入口交差点を挟んで西側と東側とに分かれて集積しており、西側の更に名取川上流の神ヶ根温泉まで計16館(客室総数1,242室、総収容人員6,172人/日)がある。

奥羽山脈・二口峠を越えて仙台と山形を最短で繋ぐ二口街道が当地を貫いており、「秋保・里センター」の西側地区には平安時代に起源を有する宿の他、江戸時代の寛永年間或いは元禄年間に創業した老舗旅館が建ち並んでいる。

温泉街は仙台都心から車で30分程度と近く、数百台を収容できる駐車場、数百人を収容できるコンベンションホール、そして、高級ホテルのスイートルームに匹敵する部屋(離れ)を有する施設が複数存在し、仙台都市圏で最高の価格とサービスを提供している為、仙台におけるコンベンション地区として機能し、賓客接待にも用いられている。

同様に仙台郊外には松島等にも高級ホテル・旅館が存在することから、仙台都心に所謂高級ホテルが立地できない要因ともなってきた。

2008年(平成20年)の仙台・宮城デスティネーションキャンペーンに合わせて松島に松島温泉が開湯し、仙台都心では2010年(平成22年)に仙台トラストタワーに外資系高級ホテルのウェスティンホテル仙台が開業した為、競争激化から秋保温泉も変革を余儀なくされているが、それでも、コンベンション機能があるホテルまたは旅館(仙台観光コンベンション協会認定)の宿泊機能で比較すれば、秋保温泉は仙台圏で最大の収容能力を有し、スイートルームも仙台圏全87室のうち41室を占める等、仙台圏における優位性を維持している。

2010年(平成22年)における当地の観光客入込数は108万7867人、宿泊客数は81万8805人だった。

仙台都心を除く純観光地での比較では、入込数において松島357万人、鳴子温泉郷164万人に次ぐ宮城県内第3位、宿泊客数においては松島の69万人を超える宮城県内第1位の観光地である。

2010年代には、温泉地でのビジネスホテルの需要や海外からの観光客を含めた宿泊代の低廉化を求める顧客に対応する形で、既存のホテルの別棟で素泊まり中心のローコストの部屋を増設(浴場や食堂は、棟続きの従来の建物で対応)したり、元々ホテル運営会社の従業員寮として使用していた建物を独立したホテルに転用し、室内着等のアメニティを極力削減し、各部屋内にトイレやシャワールームを設置せずに宿泊者共同で利用することでコストを削減したホテルが開業する等、立地する宿泊施設にも変化が見られる。

 

 

 

 

 

飯坂温泉

 

 

f:id:mudachishiki4510:20260329094936j:image

 

 

飯坂温泉とは、福島県福島市飯坂地域(旧国:陸奥国、明治以降は岩代国)にある温泉。

歴史・規模ともに日本を代表する名泉の1つである。

福島市郊外北西の飯坂町、栗子連峰の麓に位置する温泉街。

「福島の奥座敷」の異名を持つ温泉一色の街。

ヤマトタケル伝説にも登場する古湯で2世紀頃からの歴史を有する。

宮城県の鳴子温泉、秋保温泉と共に奥州三名湯に数えられる。

飯坂町を流れる摺上川を挟んで60棟以上の旅館が立ち並んでいる。

東北新幹線福島駅と温泉街を結ぶ飯坂電車(福島交通飯坂線)があり、公共交通機関での来訪は容易である。

東北自動車道福島飯坂インターチェンジからも10分程度である。

古くから歓楽街温泉として花柳界が存在したものの、温泉情趣に則った木造旅館が多く見られた。

東北自動車道の整備や東北新幹線の敷設等によって首都圏等から団体旅行客が多数流入したことによって開発や投資が進んだ。

観光客数のピークは1973年で約177万人に昇ったが、2009年には約81万人と半分以下にまで減っているものの、現代の需要に合わせて日帰り浴場や足湯等も充実している。

飯坂温泉街の近隣を通る福島県道5号上名倉飯坂伊達線(フルーツライン)沿いには福島を代表する観光スポットの果物狩りや直売所が立ち並ぶ場所が近くにあり、福島特産のモモやナシ、リンゴやサクランボと言った果物全般を取り扱っている。

飯坂八幡神社例大祭の飯坂けんか祭りは福島市エリア随一の激しさの祭事であり、日本三大けんか祭りに数えられる。

西根神社境内に祭られる高畑天満宮のうそかえ祭は東北・北海道地方では唯一この神社のみで行われており、うそかえ祭開催時には平日でありながら数万人、一日中行列が絶えない程の観光スポットである。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

鳴子温泉と秋保温泉は仙台観光でも出てくる温泉地ですね。

東北地方には沢山の温泉地があるため、全て巡るのは大変ですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!

 

 

 

奥羽三楽郷って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、奥羽三楽郷について紹介したいと思います!

奥羽三楽郷とは、東北地方の奥羽地域の温泉で、江戸時代よりその名を馳せていた3つの温泉地です。

 

奥羽三楽郷に選ばれたのは、

上山温泉(山形県上山市)

東山温泉(福島県会津若松市)

湯野浜温泉(山形県鶴岡市)

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

上山温泉

 

 

f:id:mudachishiki4510:20260308111142j:image

 

 

上山温泉とは、山形県上山市(旧国出羽国、明治以降は羽前国)にある温泉。

山形県の温泉統計等の温泉地の名称は「上山(温泉)」であるが、ひらがなの表記「かみのやま温泉」が用いられることも多い。

最寄りとなる東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅名も「かみのやま温泉駅」である。

温泉街は歴史上、複数の地区で形成されてきた為、各地区をそれぞれ個々の温泉と見做して上山温泉郷とも表現される。

以前は湯町、十日町、新湯、高松、葉山、河崎、金瓶の7地区が存在したが、このうち金瓶地区については温泉利用施設が無くなった為、現在はそれ以外の6地区での構成となっている。

温泉街は大きく2つのエリアに分かれる。

上山城跡を中心として周囲に湯町、十日町、新湯の3地区が存在するエリアと、市街地の南西端にて高松、葉山、河崎の3地区が存在するエリアである。

前者を「上山地区」、後者を「葉山地区」として区別する場合もある。

山形県発行の統計情報「やまがたの温泉2024」において、湧出量は2,537ℓ/分と蔵王温泉に次ぐ県内2位、年度延利用者数は397,257人と県内4位、年度延宿泊利用人数は232,236人と県内2位となっている。

古くは山形県鶴岡市の湯野浜温泉、福島県の東山温泉と共に「奥羽三楽郷」に数えられた。

温泉街では多数の温泉旅館、温泉ホテルが営業している。

また、共同浴場、日帰り温泉施設、足湯も存在する。2023年(令和5年)3月末現在、温泉利用施設数は32である。

 

 

 

 

 

東山温泉

 

 

f:id:mudachishiki4510:20260308111203j:image

 

 

東山温泉とは、福島県会津若松市にある温泉。

山形県の上山温泉、湯野浜温泉とともにかつて奥羽三楽郷と呼ばれた。

開湯は8世紀後半、または天平年間に行基によってなされたと伝えられる。

伝承によると、三本足の烏に導かれて発見したと言う。

江戸時代には会津藩の湯治場として栄え、会津若松の奥座敷として発展した。

会津民謡に登場する小原庄助ゆかりの温泉とされる。

鶴ヶ城から南東に約3km、湯川沿いに温泉宿・ホテル計20軒以上が営業している。

湯量は毎分1,500ℓ。

現在でも芸妓が活躍しており、「からり妓さん」として温泉街に花を添えている。

会津藩松平家の別荘から発祥した「新滝」、会津藩指定保養所の歴史を持つ「向瀧」、新撰組副長・土方歳三が戦傷を癒した源泉を持つ「不動滝」等、滝の付く名称の旅館が多い。

毎年8月13日頃から1週間程度、東山温泉盆踊りが実施される。

 

 

 

 

 

湯野浜温泉

 

 

f:id:mudachishiki4510:20260308111221j:image

 

 

湯野浜温泉とは、山形県鶴岡市湯野浜(旧出羽国、明治以降は羽前国)にある日本海に面した温泉である。

同じ山形の上山温泉、会津の東山温泉とともに奥羽三楽郷に数えられた。

日本海に面し、沈む夕日を眺めることができる湯船、新鮮な魚介類の料理を名物とする温泉宿が多い。

夏場は、海水浴客でも賑わう。

共同浴場は2軒ある(上区共同浴場、下区共同浴場)。

温泉街には食事処や居酒屋、スナックがそれぞれ複数ある。

海岸には「波乗り発祥の地」のモニュメントがある。

また、温泉街では冬季を除き朝市が開催される。

近くに鶴岡市立加茂水族館がある。

天喜年間(11世紀)に開湯。

付近の漁夫が海辺で亀が温浴しているのを見て発見したと伝えられている。

天保年間には藩から湯役銭の納付が命ぜられ、正式な藩指定の温泉場となった。

この頃には「上の湯」「下の湯」と十数軒の宿屋があった(内湯なし)。

温泉街は村の中央を流れる旭川以南に形成され、以北は半農半漁の集落であった。

諸国温泉功能鑑には、庄内田川湯(湯田川温泉)、庄内温海湯(あつみ温泉)とともに庄内湯ノ浜湯として記載されている。

明治初期には県令の三島通庸が好んで滞在した。

明治10年代の絵には、風波を防ぐ葦簀が張り巡らされた様子が描かれている。

また、明治30年代の大火後の絵図には3階建の旅館が多く描かれている。

元々、内湯がなく共同浴場に足を運ぶ様式の温泉街であったが大正期からは相次いで内湯が設けられた。

1922年(大正11年)に亀屋が掘削に成功したのを皮切りに各宿が相次いで自家源泉の掘削を行い、内湯が増えていった。

1922年には上区と下区にあった共同浴場が鉄筋コンクリート造に建て替えられた。

昭和初期には横光利一や川端康成が訪れた。

1929年から1975年までは、私鉄の庄内交通湯野浜線が湯野浜の中心地と鶴岡駅を結んでいた。

かつて湯野浜温泉駅であった場所は現在、湯野浜コミュニティセンター・湯野浜温泉下区公衆浴場・観光案内所・バス待合所を併設した湯野浜振興センターとなっている。

線路跡はサイクリングロードとなっている。

昭和40年代以降は建物の高層化が相次ぎ、1975年から1979年にかけて「いさごや」「竹屋ホテル」「亀屋ホテル」「湯野浜ビューホテル」等で10階建の建物ができた。

1996年(平成8年)からは源泉が一括集中管理となり、源泉供給管を通じて旅館民宿や公衆浴場、一般住宅に配湯されるようになった。

2017年には、温泉未利用熱で加熱した水道水を各旅館に供給できるシステムが導入された。

2000年代からは、源泉会社や旅館組合、観光協会といった別々に動いてきた組織が一体となって振興を図る「湯野浜100年計画」の取り組みが行われている。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

山形県から2ヶ所が選ばれていますね。

上山温泉は駅からも近いようなので、行きやすそうなのも良いですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!

 

 

 

北海道三大温泉って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、北海道三大温泉について紹介したいと思います!

 

北海道三大温泉に選ばれたのは、

定山渓温泉(北海道札幌市)

登別温泉(北海道登別市)

湯の川温泉(北海道函館市)

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

定山渓温泉

 

 

f:id:mudachishiki4510:20260223110603j:image

 

 

定山渓温泉とは、北海道札幌市南区にある温泉地。

泉質はナトリウム塩化物泉。

定山渓温泉の泉源は56ヶ所あり、温泉街を流れる豊平川の月見橋付近と高山橋付近に集中しており、川岸や川底にある岩盤の割れ目から自然湧出している。

湧出量は毎分8,600ℓ、湧出温度は60度〜80度と比較的高温になっている。

温泉街は豊平川と白井川に削られてできた河岸と国道230号沿いにあり、僅かな平地に市街地を形成している。

見返り坂下の湯の滝には露天風呂に浸かっている河童の像がある他、温泉街の至る所にメルヘンかっぱ像を設置している。

月見橋は美泉定山が温泉が湧き出ているのを発見した場所であり、橋の近くにある定山の生誕200年を記念した定山源泉公園には足湯や手湯、温泉卵を作ることができるおんたまの湯を設置している。

また、定山源泉公園の他にも温泉街には無料の足湯や手湯を設置している。

岩戸観音堂は小樽と定山渓を結ぶ道路を建設した際の犠牲者の冥福等を祈る為、1936年(昭和11年)に地崎宇三郎が全長120 mの洞窟に33体の観音像を私費で安置した。

豊平川沿いには散策路があり、二見公園にはかっぱ大王像を設置している。

かっぱ淵の近くには二見吊橋があり、定山渓での森林浴や紅葉の名所の1つになっている。

なお、定山渓小学校の敷地内には、美泉定山や定山渓鉄道をはじめとして、定山渓温泉に関する歴史資料や、かつて、定山渓周辺の住民が使用していた生活道具などを展示する、定山渓郷土博物館が建っている。

 

 

 

 

 

登別温泉

 

 

f:id:mudachishiki4510:20260223110635j:image

 

 

登別温泉とは、 北海道登別市にある温泉。

江戸時代から温泉の存在が知られており、明治時代に温泉宿が設けられてからは保養地・観光地となった。

「にっぽんの温泉100選・総合ランキング」では毎年上位にランクインしている日本有数の温泉地となっている。

地名の語源はアイヌ語の「ヌプル・ペツ」(水色の濃い川)に由来している。

自然湧出量は1日1万t、9種類の泉質、毎分3,000ℓ湧き出しており、「温泉のデパート」と呼ばれる程である。

中でも地獄谷は登別温泉最大の源泉エリアになっている。

登別駅から約6kmの距離に位置しており、北海道道2号洞爺湖登別線・北海道道350号倶多楽湖公園線で通じている。

クスリサンベツ川の谷にある温泉街(極楽通り)は飲食店・土産物店の他、警察(交番)・消防・銀行(信用金庫)・郵便局・病院等があり、道南バス登別温泉ターミナル付近には公衆浴場「夢元さぎり湯」がある。

また、地獄谷にも近接している。

四方嶺(クマ山)へは温泉街からのロープウェイで通じており、山上にはのぼりべつクマ牧場がある。

近年、温泉をモチーフにした2次元キャラクター「登別綾瀬」(温泉むすめ)が温泉のPRに活用されており、温泉街ではパネルの設置や、コラボ店舗でのグッズ販売が行われている。

 

 

 

 

 

湯の川温泉

 

 

f:id:mudachishiki4510:20260223110718j:image

 

 

湯の川温泉とは、北海道函館市にある温泉。

「名湯百選」選定。

函館市の南東東部の松倉川最下流に位置し、南は津軽海峡に面した温泉である。

横津岳を取り巻く温泉群の1つ。

温泉泉質は2つあり、透明で二酸化炭素が大量に含まれる白湯と、赤味を帯びた湧出地が限られる赤湯がある。

かつては同時に湧出する二酸化炭素を利用して函館市水道局(現・函館市企業局上下水道部)がドライアイスの製造を行っていた。

温泉はかつて一部の源泉が自噴していたが、現在は源泉水位の低下等により動力によって温泉を汲み上げている。

白湯の温度は65℃前後、赤湯の温度は55℃以下である。

湧出量は大気圧や潮位に伴い変化することから湧出機構が別府温泉型としていて、地下水脈が海底に開口している可能性が指摘されている。

熱源は旧・銭亀沢村(現・銭亀沢支所管内)の汐泊川河口沖約2kmの銭亀火山と考えられている。

源泉深さは28mから115mで白湯、赤湯ともほぼ同じような深さ。

汐泊川層の北東〜南西方向の破砕帯にあるとされる。

なお、参考までに南西方向には同じ泉質の谷地頭温泉がある。

1976年(昭和51年)に北海道の「温泉保護地域」に指定されて新規の温泉掘削が制限されているが、資源の枯渇が懸念されている。

函館市は1998年(平成10年)に「函館市温泉供給条例」を改正して揚湯量を縮減した他、2010年(平成22年)に「函館市温泉資源保護指針」を策定する等、対策に取り組んでいる。

函館市電(湯の川温泉電停・湯の川電停)が温泉街北側を走行している他、函館空港(車で5分)や北海道新幹線新函館北斗駅方面からのシャトルバスも運行されている。

湯倉神社の境内下には「湯の川温泉発祥の地碑」があり、足湯は湯の川温泉停留場近くの「湯巡り舞台」と函館市熱帯植物園にある。

毎年、お盆明けに『湯の川温泉花火大会』を開催している。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

北海道には数多くの温泉が存在していますね。

登別は比較的有名ですが、札幌や函館といった市街地の近くにも温泉があるので、観光と一緒に楽しむことができそうですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!