こんにちは!
今日は、日本の内閣総理大臣の就任時年齢の年長ベスト3について紹介したいと思います!
日本の内閣総理大臣の就任時年齢の年長ベスト3とは、
1位:鈴木貫太郎
2位:犬養毅
3位:清浦奎吾
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
鈴木貫太郎とは、海軍大将、政治家。
1887年、海軍兵学校を卒業。
1901~1904年、少佐としてドイツに駐在。
軍艦『日進』『春日』を回航して横須賀に帰着。
『明石』『宗谷』艦長、水雷学校長、『敷島』『筑波』艦長、舞鶴水雷隊司令官、第2艦隊司令官等を経て、1914~1917年、海軍次官。
1925~1929年、軍令部長を務めて、予備役となった。
その後、1929~1936年、侍従長兼枢密顧問官であったが、二・二六事件では官邸で反徒の乱入により重傷を負った。
1936年、男爵。
1940年、枢密院副議長、1944年、議長。
1945年4月7日に首相となり、8月9日に開かれた最高戦争指導会議でポツダム宣言受諾を主張する東郷外相と、徹底抗戦を主張する陸軍が対立すると、和平派に立って、御前会議を開き天皇の裁断を求めた。
8月15日に総辞職。
更に同年12月から7ヶ月間枢密院議長。
著書に『鈴木貫太郎自伝』(1965年)がある。
犬養毅とは、政治家。
1890年の第1回衆議院議員選挙以来、死に至るまで落選することがなく、常に少数党に与して藩閥政府に反対。
大正デモクラシー運動ではその先頭に立って働いた。
1929年、立憲政友会総裁、1931年、総理大臣となって満州事変収拾に努力したが、五・一五事件で青年将校らによって暗殺された。
号は木堂。
清浦奎吾
清浦奎吾とは、政治家。
父は僧侶の大久保了思。
清浦家の養子となる。
明治5年(1872年)、上京して埼玉県吏となり、1876年に司法省に入った。
1884年、内務省警保局長を経て、山県有朋閥に属する内務官僚として頭角を現し、1892年、司法次官。
1896年、第2次山県有朋内閣の司法相、次いで 1901年、第1次桂太郎内閣の司法、農商務相となった。
1906年、枢密顧問官を歴任。
憲政擁護運動、シーメンス事件の中、1914年、山本権兵衛内閣が倒れた後、山県の意向を受け、組閣を試みたが、海軍、政友、憲政両党の反対で失敗。
1922年、枢密院議長、伯爵。
1924年1月、組閣、首相となったが、5月の総選挙で護憲三派が圧勝し、6月に総辞職した。
如何でしたか?
犬養毅は比較的有名ですが、残りの2人は少しマイナーかもしれないですね。
いずれも70代で初めて総理大臣になっているようで、トランプ前大統領やバイデン大統領も70代で大統領に就任していますね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!