こんにちは!
今日は、世界三大提督について紹介したいと思います!
世界三大提督に選ばれたのは、
ホレーショ・ネルソン
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
ホレーショ・ネルソン
ホレーショ・ネルソンとは、イギリスの海軍軍人。
1770年、海軍に入り、1779年、海軍大佐に進級、1784年、西インド諸島方面警備のフリゲートの指揮官となった。
フランス革命政府に対するイギリスの開戦とともに、アガメムノン号の艦長となり、7年有余りに渡り、対フランス戦争に参加。
ツーロン、コルシカの占領、サンビセンテ岬沖での大勝等、地中海の諸作戦において戦果を挙げた。
1798年8月1日のナイルの戦いの勝利で国家的英雄となり、男爵に叙せられた。
1803年、イギリス、フランス間の戦争再開後、地中海艦隊司令長官となり、フランス艦隊をツーロン港に2年間封鎖した。
1805年、トラファルガルの戦いでフランスとスペインの連合艦隊を全滅させたが、その時に旗艦ビクトリー号の後甲板を歩行中、敵艦ルドゥタブル号の狙撃兵に射撃され戦死した。
しかし、この戦いの勝利はネルソンの名声を不朽の物とし、これによりイギリスは、強大な海軍力を持つ世界唯一の国として制海権を確保した。
ジョン・ポール・ジョーンズとは、アメリカ独立革命期の海軍軍人。
独立戦争中、アメリカ海軍のフリゲート艦長としてノバスコシアからバミューダに至る大西洋、更にイングランド海域での戦闘を指揮。
1775年、アルフレッド号に乗り組み、巧みな戦闘指揮能力を示し、1779年9月23日、イングランド東沖合いでボノム・リチャード号を指揮して、イギリス艦セラピス号と戦い、これを拿捕して、アメリカ海戦史上初の大勝利を齎した。
その後、オランダのテクセルに走り、アライアンス号を指揮してイギリス艦隊の重囲を突破した。
1788年、エカテリーナ2世(大帝)治下のロシアに招かれ、対トルコ戦争に参加して黒海で巡洋艦を指揮し不評を買った。
東郷平八郎とは、海軍軍人。
薩摩藩士で納戸奉行東郷吉左衛門の4男に生まれ、16歳の時、生麦事件が原因で薩英戦争が起こり、父や兄と共に戦いに加わった。
慶応2年(1866年)、藩海軍所に入所。
その後、東京に出て学び、明治3年(1870年)、新政府の軍艦竜驤の乗り組み見習士官となった。
明治4年(1871年)、海軍の第1回留学生としてイギリスに学び、1878年、帰国。
後に中尉に任官して扶桑で海上勤務を続け、1891年、浪速艦長となり、1894年、豊島沖海戦に参加、その直後、高陞号撃沈事件を起こした。
日露戦争では連合艦隊司令長官として、日本海海戦(1905年)で、ロシアのバルチック艦隊を全滅させ、国民的英雄となった。
1905~1909年、軍令部長、1907年に伯爵。
1930年のロンドン軍縮条約には強く反対した。
1934年死の前日に侯爵に叙せられ、1934年6月、国葬。
如何でしたか?
日本史や世界史に登場する3人の提督ですね。
アメリカ独立戦争、フランス革命、日露戦争とどれも有名な出来事ですね。
個人的には、アメリカ独立戦争からフランス革命において、イギリスが世界の敵から味方に扱いが変わっているのが面白いと思いました。
最後までお読み頂き有難う御座いました!