こんにちは!
今日は、日本三大美女について紹介したいと思います!
日本三大美女に選ばれたのは、
常盤御前(ときわごぜん)
小野小町(おののこまち)
静御前(しずかごぜん)
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
常磐とも書く。
初め近衛天皇の后九条院の雑仕を務めていた。
今若、乙若、牛若(義経)の母。
平治の乱で義朝が尾張で殺された後、大和に隠れたが、老母や子供を助ける為、平清盛の愛を受け、後に一条長成の妻となった。
『平治物語』に見え、以後、幸若舞曲の『伏見常盤』『山中常盤』『靡常盤』等に展開、江戸時代の浄瑠璃、歌舞伎の判官物にも登場する。
安倍清行、小野貞樹、文屋康秀らとの交渉から承和~貞観中頃(834~868年頃)が活動期と考えられる。
その出自や身分については、小野篁や出羽郡司等と関連づけたり、更衣や采女等とする説があるが未詳。
小野氏出身の宮廷女房か。
『古今集』以下の勅撰集に 60首余入集、家集に『三十六人集』の1つ『小町集』があるが、確実に小野小町の歌と言えるものは少ない。
哀感、諦念の籠った、不毛の愛を詠んだ歌に特色がある。
平安中期から、その歌才、容貌、老後等について様々な伝説が発生し、小町物と呼ばれる謡曲に集大成された。
磯禅師の娘。
文治1年(1185年)、兄の頼朝と不和になり西国に赴く義経に従って、摂津大物浦から大和吉野山へと行を共にしたが、行く先を案じた義経が、京へ帰らせようと別れたところを捕えられ鎌倉に送られた。
頼朝の妻である政子は歌舞を良くするという静を、鶴岡八幡宮で舞わせた。
静は「しづやしづしづのをだまきくりかへし昔を今になすよしもがな」と義経への慕情を歌った。
間もなく男子を産んだが、その子は頼朝の為に由比ヶ浜で殺された。
静はその後京都へ帰されたが、末路は不明。
如何でしたか?
どの人物も平安時代の人物ですね。
そのうち2人が源氏の妻ということは、源氏はイケメンが多かったのですかね?
最後までお読み頂き有難う御座いました!