こんにちは!
今日は、秀吉の二兵衛について紹介したいと思います!
秀吉の二兵衛は、豊臣秀吉(羽柴秀吉)に仕えた2人の軍師のことで、両兵衛とも呼ばれます。
秀吉の二兵衛に選ばれたのは、
黒田孝高(官兵衛)
竹中重治(半兵衛)
の2人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
職隆の子。
初名は孝隆。
通称は官兵衛。
法号は如水。
洗礼名ドン・シメオン。
天正5年(1577年)、豊臣秀吉が中国征伐で播磨に入った時に彼に属し、秀吉の西国経営の参謀として活躍した。
同17年、子の長政に豊前の所領 12万石を譲ったが、なおも秀吉に用いられ、朝鮮出兵にも参加した。
秀吉没後、石田三成と対立し、関ヶ原の戦い(1600年)には長政を関ヶ原に出陣させ、自らは豊前に残って大友義統を滅ぼし、三成派を一掃した。
茶人としても有名。
重元の子。
通称は半兵衛。
斎藤龍興の臣、後に織田氏に仕え、豊臣秀吉に従って転戦、秀吉帷幕の智将として知られた。
如何でしたか?
戦国時代が好きな人にとっては、有名なのではないでしょうか?
黒田官兵衛は、大河ドラマ『軍師官兵衛』で主人公になり、岡田准一が演じていましたね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!