こんにちは!
今日は、天下の三陪臣について紹介したいと思います!
天下の三陪臣に選ばれたのは、
堀直政
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
直江兼続とは、織豊〜江戸時代前期の武将。
永禄3年生まれ。
内政外交の手腕に優れ、関ヶ原の戦い後、会津120万石から出羽米沢30万石に大減封された藩の立て直しにあたる。
禅林寺を開き、禅林文庫を設けた。
元和5年12月19日、死去。
60歳。
越後(新潟県)出身。
本姓は樋口。
名は兼継とも書く。
別名に重光。
号は鉤斎。
毛利元就の3男。
安芸(広島県)の竹原小早川家の養子となり、天文19年、沼田小早川家も継ぐ。
兄の吉川元春と共に宗家毛利氏の発展に尽くした。
天正10年(1582年)、中国攻めの羽柴(豊臣)秀吉と和議を結び、以後、秀吉に協力し豊臣五大老の1人となった。
慶長2年6月12日、死去。
65歳。
幼名は徳寿丸。
通称は又四郎、左衛門佐。
堀直政
堀直政とは、織豊〜江戸時代前期の武将。
天文16年生まれ。
奥田直純の子。
母は堀秀重の姉。
天正13年、堀姓を与えられる。
慶長3年、秀治が越後(新潟県)春日山城主となった時、家老として沼垂郡5万石を分与され三条城代となる。
上杉遺民一揆鎮定にあたった。
慶長13年2月26日、死去。
62歳。
通称は三右衛門、監物。
如何でしたか?
直江兼続と小早川隆景は知っていましたが、堀直政は初めて知りました。
堀秀政は知っていましたが、堀秀治は堀秀政の嫡男のようですね。
まだまだ知らない優れた戦国武将が沢山いると思うので、これからも勉強を続けていきたいと思います。
最後までお読み頂き有難う御座いました!