こんにちは!
今日は、上杉四天王について紹介したいと思います!
上杉四天王に選ばれたのは、
柿崎景家(かきざきかげいえ)
直江景綱(なおえかげつな)
宇佐美定満(うさみさだみつ)
甘粕景持(あまかすかげもち)
の4人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
柿崎城、猿毛城城主。
七手組大将の1人。
長尾為景・晴景・景虎(後の上杉謙信)の3代に渡って仕えた宿老で、奉行職を務め主に内政・外交面で活躍した。
また、七手組大将の1人として軍事面で活躍することもあった。
宇佐美定満とは、戦国時代の武将。
越後国(現在の新潟県)において琵琶島城(新潟県柏崎市)に勢力を持っていたとされる武将。
軍記物語では上杉謙信の軍師という扱いを受けているが、確実な史料からはその事実は確認されていない。
軍記物等で上杉謙信の軍師として登場する宇佐美定行のモデルとされる。
伊豆国宇佐美荘(現在の静岡県伊東市宇佐美)を発祥とし、越後守護上杉家の重臣を務めた宇佐美氏出身。
甘粕景持
甘粕景持とは、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。
上杉氏の家臣で上杉四天王、越後十七将の1人。
生年については、現存する家系図の中に記述が無く不明(『甘粕近江守家系図』『清和源氏甘粕家家譜』『源姓天河瀬氏系譜』)。
越後上杉氏に仕え、桝形城や三条城の城主であったと言われるが、領有の経緯や真偽については不明な点が多く、『温故の栞』『越後古城記』『飯塚村誌』『上杉謙信伝(布施秀治著)』に景持の居城であったと記される等、古くからの伝承がある一方、『甘粕近江守家系図』『清和源氏甘粕家家譜』『源姓天河瀬氏系譜』では、三条城将であったとしか記されていない。
如何でしたか?
上杉謙信の家臣には、謎多き武将が多いですね。
甘粕景持の子孫には、甘粕事件を起こした甘粕正彦がいるようですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!