こんにちは!
今日は、昭和期のプロレス四天王について紹介したいと思います!
昭和期のプロレス四天王に選ばれたのは、
の4人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
ジャイアント馬場とは、日本のプロレスラー・テレビタレント・元プロ野球選手。
日本プロレス界史上最大の巨体を持ち、力道山・アントニオ猪木と並んで日本のプロレスそのものを代表する存在である。
コマーシャルやテレビ番組等でも人気を博した。
現役時代は、当時の世界最高峰の王座であるNWA世界ヘビー級王座に3度就いた。
全日本プロ・レスリング代表取締役社長・会長、NWA第一副会長を歴任した。
三条市名誉市民。
リングネームは、初渡米武者修行中の1961年、ニューヨークのプロモーターであったビンス・マクマホン・シニアがババ・ザ・ジャイアントと命名したことに由来する。
新聞のラテ欄では文字数の制約から「G馬場」と表記される事もある。
身長209cm、体重135kg。
血液型O型。
アントニオ猪木とは、日本のプロレスラー、実業家、政治家。
神奈川県横浜市鶴見区出身。
血液型AB型。
日本プロレス所属時代のキャッチフレーズは「若獅子」。
愛称は「アントン」。
複数の結婚歴と離婚歴があり(4回結婚している)、2番目の妻は女優の倍賞美津子である。
倍賞との間に娘が1人いる。
1991年にイラクのシーア派聖地カルバラーにてイスラム教に改宗しており、ムスリム名は「モハメッド・フセイン・イノキ」。
ただし、ワシントン・ポストによると本人は仏教徒とも自認する。
プロレスラーとしては新日本プロレスの創業や異種格闘技戦で活躍。
政治家としては参議院議員(2期)、スポーツ平和党代表、次世代の党国民運動局長兼参議院政策調査会長、日本を元気にする会最高顧問、同代表等を歴任。
大木金太郎とは、大韓民国(日本統治時代の朝鮮)・全羅南道高興郡金山面出身のプロレスラー。
本名:金泰稙、別名義:金一。
生年については当初1933年と公表していた。
1994年、国民勲章石榴章、2000年、体育勲章猛虎章、2006年、体育勲章青龍章追叙。
韓国では「大韓プロレス」のエース兼プロモーターとして、韓国プロレス界の発展に尽力した。
吉村道明とは、日本のプロレスラー。
火の玉小僧と呼ばれた。
現役引退後は、近畿大学相撲部顧問として後進の指導にあたった。
如何でしたか?
吉村道明だけ初めて知りました。
最近はテレビでもプロレスを放送しなくなったので、身近ではなくなったかもしれないですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!