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日本三長谷って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、日本三長谷について紹介したいと思います!

日本三長谷とは、日本三所長谷観音とも呼ばれます。

 

日本三長谷に選ばれたのは、

長谷寺奈良県桜井市

長谷寺(長野県長野市

長谷寺(神奈川県鎌倉市

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

長谷寺

 

 

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長谷寺とは、 奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派の総本山の寺院。

山号豊山

院号は神楽院。

本尊は十一面観音(十一面観世音菩薩)。

開山は道明とされる。

西国三十三所第8番札所。

寺紋は輪違い紋。

大和国伊勢国を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。

初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬から5月上旬は150種類以上、7,000株と言われる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されている。

また、『枕草子』『源氏物語』『更級日記』等、多くの古典文学にも登場する。

中でも『源氏物語』にある玉鬘の巻のエピソード中に登場する「二本の杉」は現在も境内に残っている。

当寺の創建は奈良時代で8世紀前半と推定されるが、創建の詳しい時期や事情は不明である。

寺伝によれば、天武天皇の朱鳥元年(686年)に僧の道明が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺が建てられている場所)に天武天皇の銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)を安置して三重塔を建立、続いて神亀4年(727年)に僧の徳道が聖武天皇の勅命により東の丘(現在の本堂の地)に近江国高島郡から流れ出でた霊木で本尊の十一面観音像を作成し祀ったと言う。

しかし、これらのことについては正史に見えず伝承の域を出ない。

承和14年(847年)12月21日に定額寺に列せられ、天安2年(858年)5月10日に三綱が置かれたことが記され、長谷寺もこの時期に官寺と認定されて別当が設置されたと見られている。

なお、貞観12年(870年)に諸寺の別当・三綱は太政官の解由(審査)の対象になることが定められ、長谷寺も他の官寺と共に朝廷(太政官)の統制下に置かれた。

それを裏付けるように10世紀以後の長谷寺再建に際しては諸国に対しては国宛を、諸寺に対しては落慶供養参加を命じる等、国家的事業として位置付けられている。

長谷寺平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集めた。

万寿元年(1024年)には藤原道長が参詣しており、中世以降は武士や庶民にも信仰を広めた。

創建当時の長谷寺東大寺華厳宗)の末寺であったが、平安時代中期には興福寺法相宗)の末寺となり、16世紀以降は覚鑁(興教大師)によって興され頼瑜僧正により成道した新義真言宗の流れを汲む寺院となっている。

天正16年(1588年)に豊臣秀吉により根来寺を追われた新義真言宗門徒が入山し、同派の僧正専誉により真言宗豊山派が成立していった。

この後、本堂が焼失するが徳川家光の寄進によって慶安3年(1650年)に再建された。

寛文7年(1667年)には徳川家綱の寄進で本坊が建立されたが、1911年(明治44年)に表門を残して全て焼失した。

しかし、1924年大正13年)に再建されている。

近年は、子弟教育・僧侶(教師)の育成に力を入れており、学問寺としての性格を強めている。

十一面観音を本尊とし「長谷寺」を名乗る寺院は鎌倉の長谷寺をはじめ日本各地に多くあり、240ヶ寺程存在する。

他と区別する為「大和国長谷寺」「総本山長谷寺」等と呼称することもある。

門前町初瀬の参道脇には、西国三十三所の観音霊場を作るよう閻魔大王から託宣されたと伝わる僧侶の徳道が天平7年(735年)創立したと言われる番外札所法起院(徳道上人廟)があり、初瀬川 (奈良県)を渡るとかつて長谷寺の鎮守社であった與喜天満神社がある。

 

 

 

 

 

長谷寺

 

 

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長谷寺とは、長野県長野市篠ノ井塩崎にある真言宗智山派の寺院。

山号は金峯山。

通称、信濃長谷寺

日本各地に数多くある長谷寺の中でも、日本三所(日本三長谷)と呼ばれる大和・鎌倉・信濃長谷寺の1つである。

寺伝では、舒明天皇の時代(629年〜641年)に允恭天皇の六代目の子孫で、祖父の代に当地に流罪となって土着した白助(白介)が、信濃善光寺阿弥陀如来のお告げにより、大和初瀬山より十一面観音菩薩を勧請したのが起源とする。

大和初瀬の長谷寺奈良県桜井市)は、朱鳥元年(686年)、川原寺の道明が元長谷寺を創建したのが始まりで、神亀4年(727年)に徳道が十一面観音像を造立し、現在の長谷寺を開山したと伝えられている。

大和の長谷寺は、奈良時代から存在した寺院であることは確かだが、上記の草創説話はあくまでも伝承である。

従って、大和長谷寺から十一面観音像を勧請したとする信濃長谷寺の起源についても、どこまで史実を反映したものかは定かでない。

 

 

 

 

 

長谷寺

 

 

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長谷寺とは、神奈川県鎌倉市長谷にある浄土宗系統の単立寺院。

正式には海光山慈照院長谷寺山号: 海光山、院号: 慈照院)と号し、長谷観音の名でも知られている。

本尊は日本最大級の木造仏像である十一面観世音菩薩像。

開山は徳道上人。

坂東三十三観音霊場の第四番札所である。

近年、鎌倉では明月院と並んで、アジサイ寺として知られる。

伝承では長谷寺の創建は奈良時代とされているが、中世以前の沿革は明確でなく、創建の正確な時期や経緯についても解明されていない。

寺伝によれば、天平8年(736年)、大和の長谷寺奈良県桜井市)の開基である徳道を藤原房前招請し、十一面観音像を本尊として開山した。

養老5年(721年)に徳道は大和国の山中で見つけた楠の大木から二体の十一面観音を造り、その一体(本)が大和長谷寺の観音像となり、もう一体(末)を祈請の上で海に流した。

その15年後に三浦半島の長井浦に流れ着いた観音像を鎌倉に安置して開いたのが、長谷寺であるとされる。

当寺の梵鐘には文永元年(1264年)、当時の住職真光の勧進により鋳物師物部季重が造った旨の銘文があり、この頃には長谷寺が存在していたことと、当時は「新長谷寺」と呼ばれていたことが分かる。

鎌倉時代に遡る遺物としては他に弘長2年(1262年)及び徳治3年(1308年)銘の板碑、嘉暦元年(1326年)銘の懸仏等がある。

近世の地誌『新編鎌倉志』や寺に伝わる『相州鎌倉海光山長谷寺事実』等によると、歴代の権力者が長谷寺の伽藍や本尊の修造を行っている。

康永元年(1342年)には足利尊氏が伽藍と諸像の修復を行った。

明徳3年(1392年)には、足利義満が観音像の光背を修復し、行基の作と言う伝承のある像を前立として安置した。

天文16年(1547年)に、北条氏康の寄進を受け、天正19年(1591年)、徳川家康から朱印状を受ける。

慶長12年(1607年)、堂塔伽藍を改修し、正保2年(1645年)にも酒井忠勝が堂宇を改修している。

長谷寺は江戸時代の初め、慶長12年(1607年)の徳川家康による伽藍修復を期に浄土宗に改宗した。

当時の住持玉誉春宗を中興開山としている。

太平洋戦争終戦直後に、金戒光明寺知恩院という浄土宗の二大本山が浄土宗から独立した混乱期に、浄土宗から独立し単立となった。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

奈良と鎌倉の長谷寺は日本三大長谷観音と同じで、長野の長谷寺が加わっていますね。

これだけ多くの長谷寺があると、長谷寺を巡る旅行も面白いかもしれないですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!