こんにちは!
今日は、日本三名塔(五重塔)について紹介したいと思います!
日本三名塔(五重塔)に選ばれたのは、
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
貞観 16年(874年)、空海の法孫聖宝が山上の上醍醐の地に堂舎を創建したのが始まりで、延喜7年(907年)、勅願寺、同 13年に定額寺となった。
山下の下醍醐は延喜末年から伽藍の造営が始まり、承平1年(931年)、金堂、天暦6年(952年)、五重塔(国宝)が完成。
永仁、文明期に五重塔を除く下醍醐の諸伽藍が灰燼に帰したが、後に豊臣秀吉の援助で再興。
また、修験道当山派の本山となり、本山派の聖護院とともに大峰山伏の本拠として勢力を誇った。
文化財としては五重塔及びその内部の壁画『両界曼荼羅』、『真言八祖像』をはじめ、薬師堂、金堂、清滝宮拝殿等の国宝建造物があり、仏像では『薬師如来及両脇侍像』、絵画では奈良時代の『絵因果経』、平安時代後期の『閻魔天像』『五大尊像』、鎌倉時代の『文殊渡海図』(以上国宝)、桃山時代の狩野山楽筆『花鳥図』襖絵、俵屋宗達筆『舞楽図』等がある。
また、下醍醐の三宝院は桃山時代建造の表書院の南に庭を配して著名である。
正しくは法隆学問寺と称し、斑鳩寺、鵤僧寺とも言う。
南都七大寺の1つ。
推古 15年(607年)に聖徳太子が開創したと伝える。
三論、法相両宗の兼学道場であったが、明治初期から法相宗、第2次世界大戦後、法相宗から分かれて聖徳宗を開いた。
現存する世界最古の木造建築物で金堂、五重塔、中門、回廊を主体とする西院と、夢殿を中心とする東院とに分かれる。
飛鳥様式の西院伽藍は、創建時のものか、天智9年(670年)に焼失後再建されたものかについて論争が続いたが、1939~1983年の若草伽藍跡等の発掘調査の結果、焼失後8世紀初めまでに、少し離れた現在地に逐次再建されたことが証明された。
東院は天平年間(729~749年)に斑鳩宮の旧構を寺としたもので、天平様式を伝える八角堂の夢殿をはじめ伝法堂、絵殿、舎利殿、回廊、鐘楼、諸門等、平安、鎌倉、室町時代に渡る建築物が集まっている。
これらの仏教建築物の多くは国宝建造物であり、1993年には世界遺産(文化遺産)に登録された。
また金堂の壁画や、『薬師如来坐像』『釈迦三尊像』(623年)、『四天王立像』、夢殿の『救世観音』、大宝蔵殿の『百済観音』『夢違観音』等の諸仏像、『玉虫厨子』『橘夫人念持仏厨子』等の寺宝の多くも、国宝に指定されている。
文明年間(1469~1487年)に陶弘房が創立し、江戸時代中期に現在地へ移転した。
この地は大内義弘が南北朝時代末頃に香積寺を建てた旧地。
五重塔は大内盛見が兄の義弘の為に建立したもので、各層の逓減率も大きく、室町時代の塔の秀作で国宝。
如何でしたか?
五重塔と聞くと法隆寺と東寺をイメージしましたが、意外と違うようですね。
特に瑠璃光寺は初めて知りました。
五重塔は、古代建築の中でも迫力があって好きなので、1度観に行きたいと思います。
最後までお読み頂き有難う御座いました!