こんにちは!
今日は、武田四天王について紹介したいと思います!
武田四天王に選ばれたのは、
の4人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
馬場信春とは、戦国〜織豊時代の武将。
永正(えいしょう)11年生まれ。
甲斐(かい)武田氏の家臣。
天文(てんぶん)15年(1546)侍大将となり、馬場虎貞の代で断絶した家を武田晴信(信玄)の命で再興。
信虎、信玄、勝頼の3代に仕える。
後譜代家老衆に進むが、天正(てんしょう)3年5月21日長篠(ながしの)の戦いで戦死。
62歳。
本姓は教来石(きょうらいし)。
名は別に氏勝、政光、信房、信勝。
内藤昌豊とは、戦国〜織豊時代の武将。
甲斐(かい)(山梨県)の人。
武田信玄に仕え、天文(てんぶん)15年50騎を抱える侍大将となり内藤を名乗った。
後上野(こうずけ)(群馬県)の箕輪(みのわ)城代、小荷駄(こにだ)奉行。
天正(てんしょう)3年5月21日三河(愛知県)長篠(ながしの)の戦いで討死した。
本姓は工藤。
通称は源左衛門。
山県昌景とは、戦国〜織豊時代の武将。
武田信玄、武田勝頼に仕え、譜代家老衆に進む。
兄の飯富虎昌(おぶとらまさ)が武田義信の謀反に連座したため、飯富から山県に改姓。
駿河(するが)(静岡県)江尻城代となり、天正(てんしょう)3年5月21日長篠(ながしの)の戦いで戦死した。
初名は源四郎。
春日虎綱とは、戦国〜織豊時代の武将。
大永(たいえい)7年生まれ。
甲斐(かい)(山梨県)の武田信玄に近習として仕え、弘治(こうじ)2年信濃(しなの)(長野県)海津(かいづ)城代となる。
信濃の名族高坂(香坂)氏を継ぎ、後春日姓に戻った。
天正(てんしょう)6年5月7日死去。
52歳。
別名に昌信など。
通称は源五郎、弾正忠。
如何でしたか?
戦国時代に詳しい方は知っていたのではないでしょうか?
武田家の家臣だと、穴山信君や真田幸隆、真田昌幸、山本勘助、板垣信方などが有名ですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!