いつか役に立つかもしれないムダ知識

生きていく上では必要ではない雑学や知識を投稿していきます。クイズなどにも役立つかもしれません。

浮世絵四天王って誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、浮世絵四天王について紹介したいと思います!

 

浮世絵四天王に選ばれたのは、

葛飾北斎

東洲斎写楽

歌川広重安藤広重

喜多川歌麿

の4人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

葛飾北斎

 

 

f:id:mudachishiki4510:20201208065833j:image

 

 

葛飾北斎とは、江戸時代末期の浮世絵師。

幼名時太郎、10歳のとき鉄蔵と改名。

14、15歳頃、木版彫刻師の徒弟となり、安永7 (1778) 年勝川春章に師事。

翌8年勝川春朗と称する。

密かに狩野派を学んで春章門を追われ、堤派の堤等琳、土佐派の住吉内記に師事。

また司馬江漢の銅版画に感化を受け、和漢洋の凡ゆる画法を体得した。

画域も役者絵、美人画、風景画、花鳥画、社会風俗画、挿絵、版本など広い分野に渡り、画狂人の自称通り生涯に3万枚以上の作品を描いた。

改名癖があり、二十数回も改号し、その都度画風も異なる。

北斎と号したのは寛政 10 (98) 年からで、この号を用い風景版画を発表。

富嶽三十六景』 (1830年から出版) が評判となり、浮世絵における風景版画創始者の地位を確立。

作品は早くから海外にも知られ、マネ、モネらフランス印象派の画家に大きな影響を与えた。

また文化年間 (04~18) には読本挿絵に専念し、次いで『北斎漫画』を続刊した。

その他の主要作品は狂歌本『東都名所一覧』挿絵、絵本『隅田川両岸一覧』挿絵、錦絵『近江八景』『諸国滝廻り』『千絵 (ちえ) の海』、肉筆画『二美人図』。

 

 

 

 

 

東洲斎写楽

 

 

f:id:mudachishiki4510:20201208065910j:image

 

 

東洲斎写楽とは、寛政期 (18世紀末期) に活躍した江戸の浮世絵師。

伝記、画系ともに不詳。

寛政6 (1794) 年5月頃から翌年2月頃までに 140種前後の役者似顔絵、及び若干の相撲絵を作画したと推定されている。

版元は蔦屋重三郎

作品は主観的で特異な画風のため長く評価されなかったが、明治末期から役者似顔絵の極致を示すものとして重要視され世界的に有名になった。

主要作品『市川鰕蔵 (えびぞう) の竹村定之進』『松本幸四郎の肴 (さかな) 屋五郎兵衛』『中山富三郎の宮城野』『市川高麗蔵 (こまぞう) の亀屋忠兵衛と中山富三郎の梅川』『瀬川菊之丞の傾城 (けいせい) かつらぎ』『大谷鬼次の奴江戸兵衛』『市川男女蔵の奴一平』。

 

 

 

 

 

歌川広重

 

 

f:id:mudachishiki4510:20201208065929j:image

 

 

歌川広重とは、江戸時代末期の浮世絵師。

幼名は徳太郎後重右衛門。

文化6 (1809) 年両親を失い、家職の八代洲河岸 (やよすがし) 火消し同心を継いだが、画家を志し同8年歌川豊広に師事、翌年歌川広重と称した。

家姓の安藤広重の名も通用している。

別号は一遊斎、一幽斎、天保3 (32) 年から一立斎、同 13年頃から立斎。

豊広の他、狩野派を岡島林斎に、南画を大岡雲峰に習い、四条派、西洋画法も学ぶ。

最初は美人画、役者絵、草双紙挿絵などを描く。

天保3年、幕府八朔御馬 (はっさくおうま) 献上の一行に加わり東海道を旅行。

この時写生した道中の風景、風俗を基に翌年から保永堂版『東海道五拾三次』 55枚を発表、出世作となる。

その後 37種類の東海道シリーズを描くが、保永堂版を凌駕する作品は無い。

更に『京都名所』 (34) 、『浪花名所図会』 (34) 、『江戸近郊八景』 (37) 、『木曾海道六拾九次』 (37) 、『名所江戸百景』 (56~58) 等を出版、風景画家として名声を博す。

花鳥画、肉筆画にも才能を示し、門人も多く、没後も広重の名は襲名され、3代まで続いた。

 

 

 

 

 

喜多川歌麿

 

 

f:id:mudachishiki4510:20201208065949p:image

 

 

喜多川歌麿とは、江戸時代中・後期の浮世絵師。

姓は北川、幼名市太郎、後に勇助又は勇記、号は歌麿の他に石要、木燕、紫屋など。

狩野派鳥山石燕に師事。

初め北川豊章と称し、安永4 (1775) 年頃から役者絵や黄表紙、洒落本などの挿絵を描く。

天明1 (81) 年頃、版元の蔦屋重三郎と知り合い、歌麿と改名してから『絵本虫ゑらみ』 (88) 、『絵本潮干のつと』『百千鳥狂歌合 (ももちどりきょうかあわせ) 』など豪華な狂歌絵本を蔦屋から次々に出版。

また寛政期頃からは美人画に独自の画境を開き、『歌撰恋之部』『娘日時計』『青楼十二時』『婦人相学十躰』等を代表作に数百種の錦絵を版行し、美人画家として浮世絵界に君臨した。

歌麿美人画の特徴は美人の顔貌、外見の美しさに加えて、内面心理の表現にまで鋭く迫っている点にあり、大首絵、雲母摺 (きらずり) を工夫して女性美の深奥を細かに描出した。

文化1 (1804) 年『太閤五妻洛東遊観之図』が幕府の忌避に遭い入牢、翌々年失意のうちに没した。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

江戸時代の文化史で登場する4人ですね。

錦絵という言葉もこの頃誕生したようですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!