こんにちは!
今日は、三弾正について紹介したいと思います!
三弾正とは、戦国時代の大名、武田信玄に仕え、弾正忠を名乗った3人の武将の総称です。
三弾正に選ばれたのは、
保科正俊(ほしなまさとし)(槍弾正)
真田幸隆(さなだゆきたか)(攻め弾正)
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
保科正俊
保科正俊とは、戦国〜織豊時代の武将。
永正8年生まれ。
信濃(長野県)高遠氏に属していたが、武田信玄の信濃侵略に際して信玄の配下となり、高遠城主となる。
信濃先方衆騎馬120騎持ち。
槍弾正と呼ばれた。
武田氏滅亡後は徳川家康に仕えた。
文禄2年8月6日、死去。
83歳。
通称は甚四郎。
真田昌幸の父。
信濃(長野県)海野から真田郷に移住し、海野姓から真田姓に改める。
天文13年、武田信玄に仕え、村上義清や越後(新潟県)の上杉謙信と戦う。
後、上野(群馬県)に転戦、武田氏の勢力圏を広げた。
天正2年5月19日、死去。
62歳。
甲斐(山梨県)の武田信玄に近習として仕え、弘治2年、信濃(長野県)海津城代となる。
信濃の名族高坂(香坂)氏を継ぎ、後に春日姓に戻った。
天正6年5月7日、死去。
52歳。
別名に昌信等。
通称は源五郎、弾正忠。
如何でしたか?
保科家は、後に保科正之が徳川家綱を支える存在になりましたね。
真田家は、真田信之が藩主として生き残っていますね。
武田家は滅亡してしまいましたが、江戸幕府を生き抜いている家臣も多くいるのですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!