こんにちは!
今日は、時代物御三家について紹介したいと思います!
時代物御三家とは、
阪東妻三郎(ばんどうつまさぶろう)
片岡千恵蔵(かたおかちえぞう)
嵐寛寿郎(あらしかんじゅろう)
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
阪東妻三郎とは、日本の歌舞伎俳優、映画俳優。
本名は田村傳吉、サイレント映画時代に岡山俊太郎の名で監督作がある。
端正な顔立ちと高い演技力を兼ね備えた二枚目俳優として親しまれ、「阪妻(バンツマ)」の愛称で呼ばれた。
大正末年から昭和初年にかけての剣戟ブームを生み出した剣戟俳優であり、「剣戟王」の異名を持つ。
日本映画史においてサイレント映画からトーキーへの転換期に活躍、双方で高い実績を残した人物として屡々名を挙げられる。
大河内傳次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫と共に「時代劇六大スタア」と呼ばれた。
5人の子どものうち、長男の田村高廣、三男の田村正和、四男の田村亮の3人は俳優となった。
二男の田村俊磨は実業家で、高廣・正和のマネージャーも務めた。
田村幸士は孫にあたる。
片岡千恵蔵とは、日本の俳優。
本名は植木正義。
戦前・戦後期に渡って活躍した時代劇スターで、同時代の阪東妻三郎、大河内傳次郎、嵐寛寿郎、市川右太衛門、長谷川一夫と共に「時代劇六大スタア」と呼ばれた(これに月形龍之介を含めて「七剣聖」と呼ぶ場合もある)。
出演作品は300本を超える。
戦前は片岡千恵蔵プロダクションを設立し、稲垣浩、伊丹万作の両監督とコンビを組んで傑作時代劇を多く生み出した。
戦後は東映の重役スターとなり、亡くなるまで第一線のスターで在り続けた。
終戦直後のGHQ占領時代には、金田一耕助や多羅尾伴内等を演じ現代劇でも人気を得て、両シリーズはその後も長く続いた。
当たり役に『いれずみ判官』の遠山金四郎等。
長男の植木基晴(「千恵蔵二世」と呼ばれた)、娘の植木千恵は子役で、東映時代の千恵蔵と共演したが、その後は引退。
三男の植木義晴は日本航空の元操縦士で、同社の専務執行役員を経て、代表取締役社長に就任した。
四男国晴ともに一般人。
嵐寛寿郎とは、日本の映画俳優、映画プロデューサーである。
戦前・戦後期に渡って活躍した時代劇スターで、300本以上の映画に出演し、「アラカン」の愛称で親しまれた。
同時代の時代劇スターの阪東妻三郎、大河内傳次郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫と共に「時代劇六大スタア」と呼ばれた。
当たり役は鞍馬天狗と『右門捕物帖』のむっつり右門で、前者は40本、後者は36本シリーズ化されている。
また、新東宝の『明治天皇と日露大戦争』では、俳優の中で初めて天皇を演じて話題となった(本作では明治天皇を演じた)。
叔父は俳優の六代目嵐徳三郎。
従妹は女優の森光子で、甥にAV男優の山本竜二がいる。
自宅は嵐山にあった。
如何でしたか?
阪東妻三郎は、田村正和の父として現在でも有名かもしれないですね。
この頃の役者の二世が昨今のテレビや映画で活躍しているパターンも多いですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!