こんにちは!
今日は、新劇御三家について紹介したいと思います!
新劇御三家に選ばれたのは、
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
文学座とは、劇団。
1937年9月、岩田豊雄、岸田国士、久保田万太郎の3人が、当時勢いのあった左翼思想に抗して、戯曲文学の尊重を主張して結成。
しかし、中心俳優の友田恭助の戦死、その妻の田村秋子の引退で発足が遅れ、翌年2月、森本薫『みごとな女』その他で旗揚げ。
弾圧を免れている1945年4月、森本の『女の一生』を初演。
1947年からのフランス演劇研究会や 1949年からのアトリエの会による実験的試み等が特色となった。
1963年、福田恆存、芥川比呂志ら 28名の脱退者を出し、続く秋に、三島由紀夫『喜びの琴』上演中止問題で再度分裂、中堅の殆どが抜けたが、杉村春子を中心に危機を乗り越え、新劇最古の劇団として活動を続けている。
主要上演作品に『鹿鳴館』『欲望という名の電車』『美しきものの伝説』『華岡青洲の妻』等がある。
俳優座とは、新劇の劇団。
1944年2月に青山杉作、千田是也、小沢栄(後の栄太郎)東野英治郎、東山千栄子ら 10人の同人で結成。
1946年3月、第1回公演でゴーゴリ作『検察官』を上演。
第2次世界大戦前の新劇への反省から、演劇のアカデミズム確立を提唱し、内外の古典劇から現代劇まで幅広く取り上げた。
1949年、俳優座養成所を併設、1967年の廃止までに 600人を超える俳優を送り出した。
また、1954年、俳優座劇場を自力で建設する等、新劇界に貢献している。
劇団民芸とは、1950年4月結成。
滝沢修、森雅之、清水将夫、宇野重吉、北林谷栄らの民衆芸術劇場(第1次民芸、1947年7月~1949年7月)の後身として、前記の大部分のメンバーに、加藤嘉、下元勉、山内明、細川ちか子、小夜福子らを加えて創立された。
久保栄の『火山灰地』『日本の気象』、三好十郎の『炎の人』、木下順二の『オットーと呼ばれる日本人』『冬の時代』、その他『夜明け前』等の創作劇や、『セールスマンの死』をはじめ、『イルクーツク物語』『汚れた手』『るつぼ』等の翻訳劇を上演し、また、堀田清美、大橋喜一、原源一らの労働者出身の作家を擁して、進歩的な劇団のリーダー的存在となった。
理念として社会主義リアリズムの確立を唱えていたが、1965年のベケット作、渡辺浩子演出の『ゴドーを待ちながら』の上演を機に演目の幅を広げた。
1971年に宇野の指導体制に反発して鈴木瑞穂、佐々木すみ江、内藤武敏ら 18人が脱退。
1988年の宇野の死後、集団指導体制に移っている。
如何でしたか?
今でも名前の聞く劇団ですね。
現在、テレビや映画で活躍されている役者の皆さんも劇団出身の方が多数いらっしゃいますね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!