こんにちは!
今日は、近松三大心中について紹介したいと思います!
近松三大心中に選ばれたのは、
『曽根崎心中』
『恋飛脚大和往来』
『心中天網島』
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
『曽根崎心中』
世話物。
三段。
近松門左衛門作。
1703年(元禄16年)5月7日より大坂・竹本座初演。
前月の4月7日(23日とも)、曽根崎で起きたお初、徳兵衛の心中事件を直ちに脚色したもので、近松最初の世話浄瑠璃、また心中物流行の端緒となった作として、近世戯曲史上大きな意義を持つ。
大坂内本町の醤油商平野屋の手代徳兵衛は、北の新地の遊女天満屋お初と深く契り、主人の妻の姪との祝言を断るので、継母が受け取った持参金の返却を迫られ、漸く母から取り戻した二貫目の金を、油屋九平次に詐取された上、証文偽造の罪を着せられ生玉の社で暴行を受ける。
死を決した徳兵衛は密かに天満屋を訪れ、お初と愛を誓い合い、夜、更けてから手を取り合って店を逃れ、曽根崎の森で心中する。
相続制度と金銭という2つのかせの中に立たされた男女が愛を貫く為、死を求める姿を叙情的に描いたもので、天満屋を訪れた徳兵衛がお初の打掛に覆われて縁の下に隠れ、足に触って愛情を確かめるくだりの描写や、「この世の名ごり夜もなごり……」の道行の名文が優れている。
後世に様々な改作が生まれたが、歌舞伎では1953年(昭和28年)、2世中村鴈治郎・扇雀父子が宇野信夫の補綴脚本で演じたのが大好評を得て、同父子の当り芸になり、その後、文楽人形浄瑠璃でも原作に忠実な形で上演するようになった。
『恋飛脚大和往来』
『恋飛脚大和往来』とは、歌舞伎脚本。
世話物。
2幕。
1796年(寛政8年)1月、大坂・角の芝居初演。
外題は「こいのたより~」とも読む。
通称「梅忠」「封印切」「新口村」。
梅川忠兵衛の情話を脚色した近松門左衛門の浄瑠璃『冥途の飛脚』の増補改作(辰岡万作ら)で、構成は菅専助、若竹笛躬作の浄瑠璃『けいせい恋飛脚』(1773年)に拠る点が多い。
飛脚屋亀屋忠兵衛が愛人の遊女梅川を巡って恋敵の丹波屋八右衛門と新町井筒屋で張り合ったあげく、預り金の封印を切って梅川を身請けし、故郷の新口村へ駆け落ちする話。
原作では忠兵衛の友人である八右衛門を敵役とし、忠兵衛が実父孫右衛門に別れを告げる「新口村」を雪景色に仕立てた点が特色で、また封印を切る所は、大抵八右衛門と争うはずみに誤って切るという段取りで演じられる。
忠兵衛は上方和事の代表的な役で、近世では中村鴈治郎(初~3世)、片岡仁左衛門(11~15世)、実川延若(初~3世)の各家に独自の演出が伝わる。
『心中天網島』
世話物。
3段。
近松門左衛門作。
1720年(享保5年)12月、大坂・竹本座初演。
大坂郊外の網島大長寺における情死事件を脚色したもの。
上の巻(河庄)―天満の紙屋治兵衛は女房おさんとの間に2人の子がありながら、曽根崎新地の遊女紀伊国屋小春と深く馴染み、心中の約束までする。
思い悩んだおさんは、密かに小春へ夫と別れてくれと手紙で頼む。
治兵衛の兄粉屋孫右衛門も弟を案じ、侍に変装して小春に会うと、小春は手紙の主に義理をたてて別れたいと言う。
立ち聞きした治兵衛は女の変心に激怒するが、兄に制せられ泣く泣く家に帰る。
中の巻(紙治内)―10日後、治兵衛は小春が恋敵の太兵衛に身請けされるという噂を聞き、男の面目がたたぬと無念がる。
おさんは小春が死を覚悟したと察し、女同士の義理が済まなくなり、衣類全てを入質して、夫に小春を請け出させようとするが、そこへ来た父五左衛門は一途に治兵衛の不行跡を怒り、無理におさんを連れ帰る。
下の巻(大和屋・名残の橋づくし)―治兵衛はあくる夜、廓を抜け出した小春と網島の大長寺で心中する。
心中事件は初演前々月の10月16日に起きたと言われ、これを聞いた作者が駕籠の中で想を練ったという逸話もある程だが、場面構成、人物描写ともに優れ、心中物の代表作、近松世話浄瑠璃の最高傑作とされる。
ただし、舞台では、近松半二が改作した『心中紙屋治兵衛』(1778年)における「河庄」と、半二の作を更に増補した『天網島時雨炬燵』(通称「時雨の炬燵」)が多く上演され、歌舞伎でもこの両作が「紙治」の俗称で親しまれてきた。
「河庄」の治兵衛の演技は代表的な上方和事で、3代に及ぶ中村鴈治郎の当たり芸。
近年は近松の文学尊重の立場から、原作に近い形で上演される例も少なくない。
如何でしたか?
『曽根崎心中』は知っていましたが、残りの2つは初めて知りました。
近松門左衛門は、様々な心中物語を作ってきたのですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!