いつか役に立つかもしれないムダ知識

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三頭目って誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、三頭目について紹介したいと思います!

頭目とは、新派、川上音二郎と高田実亡き後の新派を支えた3人です。

 

頭目に選ばれたのは、

伊井蓉峰(いいようほう)

河合武雄

喜多村緑郎(きたむらろくろう)

の3人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

伊井蓉峰

 

 

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伊井蓉峰とは、新派俳優。

本名は北庭申三郎。

1891年、銀行勤務を辞めて川上音二郎一座に参加。

同年、依田学海の後援で男女合同改良演劇を標榜して済美館で旗揚げ、1895年、伊佐水演劇を興し、『心中天網島』はじめ近松の作品を忠実に上演。

鴎外の台詞劇や、藤村、漱石、紅葉、蘆花その他の文芸作品と意欲的に取り組み、1915年の新派大合同劇では座長になった。

優れた容姿と写実的な演技で、河合武雄喜多村緑郎と新派の3頭目時代を現出。

代表的な役は『不如帰』の武男、『金色夜叉』の貫一、『婦系図』の早瀬、『二筋道』の阿久津等。

 

 

 

 

 

河合武雄

 

 

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河合武雄とは、新派俳優。

本名は内山武次郎。

1893年、父の反対を押し切って山口定雄一座に入り、1898年、水野好美の奨励会の立女方に迎えられた。

1901年以降、伊井蓉峰と組み、美しい容姿と派手な芸風で名女方の名を恣にした。

1913年、松居松翁の指導で、新劇を上演する公衆劇団を興すが、翌年解散。

再び新派に戻って、伊井、喜多村緑郎と共に新派3頭目と言われた。

 

 

 

 

 

喜多村緑郎

 

 

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喜多村緑郎とは、新派俳優。

本名は六郎。

鶯亭金升に師事し、その雑俳仲間と素人芝居をしたのが機となり、新派俳優を志した。

諸座を転々とした後、1896年9月、高田実らの大阪角座における成美団旗揚げに参加。

1900年6月、秋月桂太郎を誘って大阪朝日座に新演劇合同(第2次成美団)を興し、以後の 10年間は専ら写実芸の錬磨に努め、新派を新派たらしめる素地を築いた。

1906年6月、東京本郷座に戻り、『侠艶録』の演技で評判をとって名女方として活躍。

婦系図』のお蔦、『日本橋』のお孝、『滝の白糸』の白糸などをあたり役とし,鏡花役者とも言われた。

新派3頭目の1人。

また、新派女方の後継者として花柳章太郎を育てた。

1955年には重要無形文化財保持者に認定された。

文化功労者

著書に『わが芸談』等がある。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

新派は、日本史の文化史でも登場しますね。

しかしながら、川上音二郎の後の世代については殆ど知りませんでした。

このような形で知れるのは、勉強になりますね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!