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昭和戦後三大力士って誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、昭和戦後三大力士について紹介したいと思います!

 

昭和戦後三大力士に選ばれたのは、

大鵬幸喜

北の湖敏満

千代の富士

の3人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

大鵬幸喜

 

 

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大鵬幸喜とは、第48代横綱

本名は納谷幸喜

1956年、北海道の弟子屈高等学校を中退して二所ノ関部屋に入門し、同 1956年9月の秋場所初土俵

1960年1月の初場所で新入幕、11月の九州場所では初優勝を飾り、大関に昇進した。

翌 1961年7月の名古屋場所秋場所で連続優勝を果たし、場所後 21歳3ヶ月で柏戸剛と共に横綱に推挙され、「柏鵬時代」と呼ばれる一時期を築いた。

強い横綱は子供たちの憧れの的となり、「巨人・大鵬・卵焼き」の流行語も生まれた。

幕内通算 746勝 144敗、優勝 32回(うち全勝優勝 8回)、6場所連続優勝(2回),45連勝等、輝かしい戦績を残して 1971年夏場所に引退。

一代年寄大鵬」を日本相撲協会から贈られ、大鵬部屋を創設した。

2004年1月、婿養子の大嶽親方(元関脇貴闘力)が部屋を引き継ぐのに伴い,大獄部屋に名称変更した。

2005~2008年、相撲博物館館長を務めた。

2004年に紫綬褒章を受章、2009年には相撲界で初となる文化功労者に選ばれた。

没後に国民栄誉賞を授与された。

 

 

 

 

 

北の湖敏満

 

 

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北の湖敏満とは、第55代横綱

本名は小畑敏満。

1967年1月の初場所初土俵

中学校3年生だった 1969年3月の春場所で幕下昇進。

その後、十両、入幕、小結昇進の最年少記録を塗り替え、1974年7月の名古屋場所後に 21歳2ヶ月の史上最年少で横綱に昇進した。

50場所連続勝ち越し記録、年間最多勝記録(82勝)を樹立。

優勝 24回(全勝 7回)。

通算記録は 951勝 350敗 107休。

相撲界に対する貢献が認められて、大鵬大鵬幸喜)に次ぐ 2人目の一代年寄として引退後も北の湖を名乗り、北の湖部屋を創設。

2002~2008年、日本相撲協会理事長を務め、2012年に再任。

理事長在任中の 2015年11月の九州場所中に死去した。

 

 

 

 

 

千代の富士

 

 

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千代の富士貢とは、第58代横綱

本名は秋元貢。

同郷の横綱千代の山九重親方にスカウトされて入門。

1970年9月、初土俵

持病ともいうべき肩の脱臼に悩まされ、十両と幕内を往復していたが、ウエイトトレーニングによる筋肉作りでそれを克服。

1979年3月の 3度目の入幕から、前まわしを取って一気に寄り切る速攻相撲を身に付け、急激に強くなった。

1981年初場所で初優勝を飾り大関に昇進し、名古屋場所後、横綱に昇進。

1988年には双葉山双葉山定次)の 69連勝に次ぐ 53連勝を記録。

1989年9月、国民栄誉賞を受賞。

1990年春場所で史上初の通算 1000勝を達成。

1991年5月14日、夏場所途中で引退。

優勝 31回(全勝 7回)。

通算 1045勝。

年寄九重を襲名。

日本相撲協会の理事を務めた。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

昭和を代表する横綱3人ですね。

全員が優勝20回以上しており、正しく名横綱ですね。

平成になり、貴乃花朝青龍白鵬と続いていくのですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!