こんにちは!
今日は、琉球の五偉人について紹介したいと思います!
琉球の五偉人に選ばれたのは、
儀間真常(ぎましんじょう)
向象賢(しょうしょうけん)
程順則(ていじゅんそく)
蔡温(さいおん)
宜湾朝保(ぎわんちょうほ)
の5人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
真和志間切儀間村の地頭、後に勢頭役。
野国総管によって明(中国)から齎されたサツマイモの栽培、普及に尽くす。
1611年、薩摩(鹿児島県)から綿の種子を入手して試植し、また1623年、家人を明の福州に派遣して製糖法を学ばせる等、琉球絣と黒糖生産の基を築いた。
尚賢王4年10月14日、死去。
88歳。
唐名は麻平衡。
向象賢
1666年、摂政となり、対清(中国)、対薩摩関係の安定化に努める。
また、学問の奨励、農業の振興等の改革を進め、その実際は「羽地仕置」に纏められている。
日琉同祖論を唱えた。
59歳。
和名は羽地朝秀。
編著に『中山世鑑』。
名護間切の総地頭。
清(中国)で陳元輔に朱子学と詩文を学ぶ。
持ち帰った『六諭衍義』は室鳩巣により和訳された。
尚敬王22年12月8日、死去。
72歳。
和名は名護寵文。
通称は名護聖人。
蔡温
後に25年間三司官(大臣)を務め、羽地大川の改修等、治水、農政、殖産興業、外交等で手腕を発揮。
在任中、平敷屋朝敏らの処刑事件が起きた。
尚穆王10年12月29日、死去。
80歳。
字は文若。
名乗りは具志頭親方。
著作に『簑翁片言』『独物語』等。
1872年、維新慶賀の副使として東京に行き、国王を「琉球藩王」とする詔勅を持ち帰り、親清国派から「売国奴」と非難されて三司官を辞任。
桂園派の歌人としても知られた。
尚泰王29年8月6日、死去。
54歳。
唐名は向有恒。
号は松風斎。
歌集に『松風集』。
如何でしたか?
琉球の人は殆ど知らないので、非常に勉強しました。
琉球や対馬、アイヌといった日本文化と少し離れたところの歴史も面白そうだなと思いました。
最後までお読み頂き有難う御座いました!