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日本三大史跡って何?

こんにちは!

 

 

今日、日本三大史跡について紹介したいと思います!

 

日本三大史跡に選ばれたのは、

平城宮跡奈良県奈良市

大宰府跡(福岡県太宰府市

多賀城跡(宮城県多賀城市

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

平城宮跡

 

 

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平城宮跡とは、奈良市佐紀町にある奈良時代の宮城の跡。

へいぜいきゅうしともいう。

幕末からその基礎的研究が始まるが,本格的調査が行なわれるようになったのは第2次世界大戦後で,特に 1954年からの奈良国立文化財研究所 (奈良文化財研究所 ) の平城京全域を対象とする発掘調査は多大の成果を上げている。

宮の中心は正殿である大極殿(だいごくでん)で,その北に天皇の居所としての内裏,南には十二堂と朝集殿が続く。

宮域は土塀で画され,南面中央に朱雀門を配し,東,西,北の大路正面に宮門を置く。

建造物は,基壇,礎石をもつ瓦ぶきの大陸風建築であったが,内裏内の建物は掘立柱,檜皮ぶきの日本的建築と考えられる。

内裏,八省院は2ヵ所に確認され,朱雀門正面にあるもの (第1次) が遷都当初のもので,それより東にあるもの (第2次) は天平 17 (745) 年以後のものと考えられている。

宮域が東に拡大された部分には東院があり,緑釉(りょくゆう)瓦,緑釉 塼(せん)を用いた玉殿,庭園などが確認された。

 

※奈良文化財研究所とは、独立行政法人文化財研究所を構成する文化財の調査・研究機関。

本庁舎の所在地は奈良県奈良市二条町。

1952年文化財保護委員会 (文化庁 ) の付属機関として奈良文化財研究所設立。

1954年奈良国立文化財研究所と名称変更。

1968年文化庁が発足しその付属機関となる。

1980年奈良市春日野町から本庁舎移転。

2001年4月中央省庁改編に伴い文化庁所管の独立行政法人に移行,名称を奈良文化財研究所とする。

文化遺産研究部,平城宮跡発掘調査部,飛鳥藤原宮跡発掘調査部 (奈良県橿原市) ,飛鳥資料館 (奈良県明日香村) ,および埋蔵文化センターなどで組織され,独立行政法人文化財研究所の本部が本庁舎内に置かれている。

 

 

 

 

大宰府

 

 

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大宰府跡とは、福岡県太宰府市にある大宰府の跡。

特別史跡

都府楼跡と呼ばれる政庁跡を中心として,日本最古といわれる梵鐘 (国宝) を伝える観世音寺や史跡の筑前国分寺跡が存し,正庁跡の南には条坊制による都城址が認められる。

大宰府の北西には長さ 1km,高さ 14mの土塁があるが,これは天智3 (664) 年築造の大堤の跡とされている。

さらに北方と南方には,大野,基肄 (きい) の2城址がある。

 

大宰府とは、奈良,平安時代に対外防備および九州を総管するために筑前国筑紫郡 (現在の福岡県太宰府市) におかれた役所。

古くから大陸との交通の要地を占め,白村江で唐,新羅の水軍に敗れた大和朝廷が大陸に対する防衛基地として創設したもの。

創設年は不明であるが,天智初年には存在したと思われる。

令制のもとで整備。

九州,壱岐対馬などを管轄し,外敵を防ぎ,外交を司った。

帥 (そつ。長官) 以下,大少弐,大少監,大少典の四等官がおかれ,平安時代以来,帥には親王が任じられたので,権帥または大弐が長官の実務をとった。

民政,軍事,外交,司法,警察権をもった西海道の独立行政府で,官衙には都府楼と呼ばれる政庁のほかに,学業院,蔵司,税司,薬司,鴻臚館 (こうろかん) ,警固所などがあった。

鎌倉時代になっても名称,職員などは存続したが,鎮西探題 (九州探題 ) がおかれると,その機能はまったく失われた。

 

観世音寺とは、福岡県太宰府市にあり,都府楼跡の東に位置している天台宗の寺。

天智天皇斉明天皇の冥福を祈って創建,その完成は天平年間 (729~749) 。

日本三戒壇の1つ。

古い建物はまったくないが,発掘調査により,講堂に取りつく回廊に囲まれて,塔と金堂が東西に配置され,かつ金堂が東面するというかつての伽藍配置が明らかにされた。

奈良時代の梵鐘 (国宝) ,平安・鎌倉時代の多くの仏像がある。

 

 

 

 

多賀城

 

 

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多賀城跡とは、宮城県多賀城市にある奈良・平安時代国衙と城柵の遺跡。

多賀城は,奈良時代初めに陸奥国府と鎮守府の所在として造営され,天平9 (737) 年に多賀柵として史書に初見し,宝亀 11 (780) 年の伊治呰麻呂(これはりのあざまろ)の乱で焼かれたが,8世紀末の蝦夷との武力衝突では律令政府側の基地として武備が加えられた。

鎮守府の胆沢城移転後の平安時代にも国府は存続した。

台地端にあり1辺約 900mの不整方形をした遺跡は,処々に門,櫓の遺構のある築地跡が周囲に残り,内部には政庁その他の官衙や倉の建物跡の礎石や掘立柱穴,竪穴住居址などがあり,木簡,漆紙文書片,硯,土器,古瓦や鉄製武器が出土する。

城跡の南東に付属寺院の多賀城廃寺跡がある。

 

 

 

 

如何でしたか?

 

どの史跡も、日本史で聞いたことある人が多いのではないでしょうか。

史跡や城、神社仏閣を訪れる時は、事前にその建造物について調べておくと、より楽しむことができると思っています。

私も史跡や神社仏閣が大好きなので、また行きたいと思います!

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!

 

 

日本三名城はこちら

https://mudachishiki4510.hatenablog.com/entry/2020/03/30/112050

 

 

日本三大寺はこちら

https://mudachishiki4510.hatenablog.com/entry/2020/04/05/104633

 

 

世界三大陵墓はこちら

https://mudachishiki4510.hatenablog.com/entry/2020/03/17/112515