こんにちは!
今日は、世界三大運河について紹介したいと思います!
世界三大運河に選ばれたのは、
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
スエズ運河とは、エジプト北東部スエズ地峡にあり、紅海と地中海とを結ぶ運河。
ヨーロッパとインド亜大陸、その周辺及び西太平洋の諸国を結ぶ最短海路で、平時には世界で最も頻繁に利用される。
北端は地中海側のポートサイド、南端は紅海側のスエズ市の一部ポートタウフィーク。
運河通過時間は、開通当時の平均48時間から現在は約15時間。
1859年、フランス人 F.レセプスによって建設工事が開始され、1869年に完成。
工事はポートサイド側から始まり、南へティムサ湖、ビター湖を経てスエズ湾に達した。
1875年以来イギリス系のスエズ運河会社の所有となり、更に1882年、イギリスは運河地帯を占領し、軍事基地とした。
1956年のスエズ動乱後エジプトのG.ナセル大統領が国有化を宣言、スエズ運河公社が設立された。
1967年中東戦争により運河は封鎖されたが、1975年6月、開通され、1980年8月までに運河通過船は10万隻に達した。
また、1975年11月より拡張工事が行われ、1980年に工事は完了。
1日60隻から73隻の運航が可能となり、15万tタンカー及び空船なら35万tの大型タンカーも運航可能となった。
更に、運河の下にアハメト・ハムジ・トンネルが建設されている。
パナマ運河とは、パナマ共和国のパナマ地峡を横断して大西洋と太平洋を結ぶ運河。
カリブ海岸のコロンから人造湖ガツン湖を経て太平洋岸のバルボアに通じる。
船の通過所要時間は8時間。
閘門式運河で、複線6対の閘門を持ち、長さは両大洋の深海面から約81km、両海岸線間では約65kmあり、水路底幅は最短90m、深さは最低 13mある。
年間約1万5000隻の船舶が通過する。
1881年、フランスの F.レセプスが建設に着手したが、黄熱病、マラリアと雨季の氾濫で工事は阻止された。
19世紀末に海外進出の機運が高まったアメリカは、T.ルーズベルト政権の時、フランス・パナマ運河会社より、4000万ドルでその資産と利権を買い取った。
更に1903年、アメリカはコロンビアからのパナマ独立を援助して、新たに独立したパナマとヘー=ビュノーバリヤ条約を締結。
アメリカは開削権の獲得、運河とその両側8kmの地域を永久に使用、占有、かつ支配する権限を得た。
1904年からG.ゴーサルス陸軍大佐指揮下のアメリカ工兵隊が工事にかかり、1913年3月に完成、1914年8月、開通。
その結果、それまで南アメリカの南端ホーン岬を迂回していた航路は著しく短縮された (ニューヨーク-サンフランシスコ間は約1万 5000km、リバプール-サンフランシスコ間は1万km短縮) 。
主な通航貨物は、石油製品、燃料、鉱産物、金属、穀類。
運河経営はパナマ運河会社で、アメリカ大統領任命の総督が運河地帯の警備、主管にあたっている。
しかし、アメリカに有利な条約に対して、第1次世界大戦後より、パナマ側の不満が高まり、1936年4つの条約が結ばれた。
第2次世界大戦後、世界の各地でナショナリズムの機運が高揚する中で、度々アメリカは譲歩を余儀なくされたが、パナマ側の強い返還要求によって、1977年アメリカとの間に1999年末までに支配権をパナマに全面移譲するという新条約が締結され、1999年12月31日に返還された。
また、1980年代からはより大きな第2パナマ運河建設が準備されている。
キール運河とは、ドイツ北部、シュレースウィヒホルシュタイン州を横断して北海とバルト海を結ぶ人工水路。
全長98.7km、幅103m、深さ11.3m。
1887~1895年に建設され、1907~1914年に拡張された。
主として戦略上の目的から開設されたドイツの国内水路であったが、2つの公海を結ぶ通商の要路としてドイツが一方的に外国船に開放してきた。
第1次世界大戦後ベルサイユ条約によって国際化され、ドイツと平和関係にある全ての国の商船と軍艦に平等に開放された。
1936年11月14日ドイツは前記条約規定の一方的廃棄を通告した。
第2次世界大戦後、ドイツを占領した連合国はドイツの廃棄通告に対し公式の見解を表明しておらず、運河が今日も正式な国際運河の地位にあるかどうかは明らかではない。
現実にはドイツによって全ての国の船舶に対して開放されている。
如何でしたか?
スエズ運河とパナマ運河は知っていましたが、キール運河は初めて知りました。
また、フランスのレセプスは、スエズ運河とパナマ運河の両方に関わっていたということも初めて知り、大変勉強になりました。
最後までお読み頂き有難う御座いました!