こんにちは!
今日は、氏康三家老について紹介したいと思います!
氏康三家老に選ばれたのは、
松田盛秀(まつだもりひで)
大道寺盛昌(だいどうじもりまさ)
遠山綱景(とおやまつなかげ)
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
松田盛秀
松田盛秀とは、戦国時代の武士。
後北条氏の家臣。
松田頼秀の子として誕生。
初名は顕秀。
後に最初の主君である伊勢盛時から偏諱(「盛」の1字)を受けて盛秀と改名した。
大道寺盛昌
大道寺盛昌とは、戦国時代の武将で、後北条氏の家臣。
父・大道寺重時(発専)は、北条早雲(伊勢盛時)と共に駿河へ同行した御由緒六家の1人。
大道寺政繁の父とも祖父、或いは曽祖父とも言われているが、重時から政繁までは諸説あり、定かではない。
そもそも早雲と一緒に駿河へ下向したのがこの盛昌である、とする異説もある。
蔵人、駿河守を称した。
遠山綱景
遠山綱景とは、戦国時代の武将。
後北条氏の家臣。
武蔵遠山氏の当主。
遠山直景の長男とも。
子に遠山藤九郎、遠山隼人佐(実名不詳、妻は北条綱成の娘・浄光院殿)、遠山政景、川村秀重、法性院(後に北条氏綱養女となり、太田康資に嫁ぐ)。
官位は甲斐守、丹波守。
『小田原衆所領役帳』にて、江戸衆筆頭に列せられ、相模西郡松田や曽比郷、相模中郡金目郷等に約963貫(武蔵葛飾郡にも飛び地があり合わせると1242貫)を知行した。
如何でしたか?
北条家の家臣ってあまり有名ではないですよね。
ましてや、北条氏康の時代なので、戦国時代が好きな人にとっても少し古いですよね。
でも、後北条氏が栄えた時代なので、調べると面白いです。
最後までお読み頂き有難う御座いました!