こんにちは!
今日は、カトリック両王について紹介したいと思います!
カトリック両王とは、1469年に結婚し、後に彼らの子孫の下で王朝連合国家としてのスペイン王国を成立させた2人です。
カトリック両王に選ばれたのは、
フェルナンド2世
の2人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
フェルナンド2世
フェルナンド2世とは、シチリア王(在位 1468~1516年)、フェルナンド5世としてカスティリア王(在位 1474~1504年)、アラゴン王(在位 1479~1516年)、ナポリ王(在位 1506~1511年) 。
スペインの統一を成し遂げ、スペイン王国隆盛の基礎を築いたことで知られる。
アラゴン王フアン2世の子。
1469年、カスティリア王エンリケ4世(不能王)の異母妹イサベルと結婚。
1474年、エンリケの没後、王位を継いだイサベル1世とカスティリアを共同統治し、1479年、父の後を受けアラゴン王となり、スペインの統一を完成した。
カスティリアの内治は妻に委ね、外交面及びアラゴン王として活躍、その外交政策は専らフランスとの伝統的な抗争に集中し、1503年、ナポリ征服に成功した。
スペインは今やヨーロッパの最強国としてフランスと肩を並べるに至った。
1504年、イサベルが没し、カスティリアを娘フアナ・ラ・ロカとその夫フェリペ1世(美麗王)の共同統治に委ね、1506年、フェリペの没後、F.ヒメネス・デ・シスネロスを摂政に任命。
国内政治の面では貴族の廷臣化等による絶対主義の確立に努めた。
イサベル1世とは、カスティリア女王(在位 1474~1504年)。
フアン2世の子。
異母兄カスティリア王エンリケ4世(不能王)の相続者となり、1469年、アラゴン王子フェルナンドと結婚。
1474年、カスティリア女王となる。
しかし、ポルトガル王アフォンソ5世(アフリカ王)はエンリケ4世の女婿であったところから、自らの王位継承権を主張、カスティリアの貴族と結んで争乱が絶えなかった。
しかし、1476年、カスティリア軍は、ポルトガル軍を破り、イサベルの王位は安定した。
1479年、フェルナンドはアラゴンの王位を継承しフェルナンド2世(カトリック王)となり、ここにカスティリア、アラゴン両国は統一され、イサベル1世とフェルナンド2世により共同統治されることになり、スペインの歴史が始ままる。
続いてこのカトリック夫婦王は1492年、イスラム教国の最後の拠点グラナダを征服、イベリア半島からイスラム教徒を追放して国土回復運動を完了した。
これを機に、国王直属の軍隊の強化、国内治安の回復、経済の整備、貴族の官僚化、各コルテスの中央への服従等を図り、更に宗教裁判やユダヤ人追放等を通じてスペインの中央集権化を図った。
フェルナンドが戦場に終始することが多かったのに対して、イサベルは国内統治に専念しその名声を高めた。
C.コロンブスを援助して西インド諸島を手に入れる等、その施策は的確であった。
如何でしたか?
世界史で登場しますね。
スペインの歴史はあまり詳しくないので、機会があれば勉強してみたいと思います。
最後までお読み頂き有難う御座いました!