こんにちは!
今日は、長州五傑について紹介したいと思います!
長州五傑とは、江戸時代末期(幕末)の1863年に長州藩から清国経由でヨーロッパに派遣され、主にロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジ等に留学した5名の長州藩士です。
長州五傑に選ばれたのは、
井上馨(いのうえかおる)
遠藤謹助(えんどうきんすけ)
山尾庸三(やまおようぞう)
井上勝
の5人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
井上馨とは、幕末〜大正時代の武士、政治家。
天保6年11月28日生まれ。
文久3年、伊藤博文らとイギリスに渡航して攘夷から開国倒幕派に転じる。
新政府の大蔵大輔となるが、実業界に移り、先収会社(後の三井物産)を設立。
明治12年、外務卿、明治18年、第1次伊藤内閣の外相となり、不平等条約改正の為、鹿鳴館を中心に欧化政策を進めるが、失敗。
後に農商務相、内相、蔵相等を経て元老。
侯爵。
大正4年9月1日、死去。
81歳。
周防(山口県)出身。
一時、志道聞多を名乗る。
号は世外。
遠藤謹助
遠藤謹助とは、明治時代の官僚。
天保7年生まれ。
大蔵省に入り、大蔵大丞等を経て、明治14年、造幣局長となり、近代的貨幣制度を導入した。
明治16年から花見の時期に局構内を一般に開放、「造幣局の通り抜け」として今も大阪市民に親しまれる。
明治26年9月13日、死去。
58歳。
山尾庸三
山尾庸三とは、幕末〜明治時代の武士、官僚。
天保8年10月8日生まれ。
明治3年、帰国し、工部省、工学寮の設立に関わり、明治13年、工部卿。
後に宮中顧問官、法制局長官。
また、楽善会訓盲院(現筑波大付属盲学校)の創立に尽くした。
大正6年12月21日、死去。
81歳。
伊藤博文とは、幕末〜明治時代の政治家。
天保12年9月2日生まれ。
イギリス公使館焼き打ちに参加する等、尊攘運動に従うが、文久3年、渡英。
帰国後は開国を唱え、倒幕運動に活躍。
大久保利通の没後、内務卿となり、明治14年の政変で政府の実権を握る。
内閣制度を創設して、明治18年、初代の首相(組閣4回)となり、枢密院の設置、大日本帝国憲法の制定等、天皇制近代国家の枠組みを作った。
条約改正を実現し、日清戦争を遂行。
明治33年、政友会を創立して総裁。
明治38年、日露戦争後、統監府の初代統監となり朝鮮併合を進めた。
公爵。
69歳。
本姓は林。
前名は俊輔。
号は春畝等。
井上勝
井上勝とは、明治時代の鉄道技術者、官僚。
天保14年8月1日生まれ。
文久3年、伊藤博文らとイギリスに密航、ロンドン大で鉱山や鉄道の技術を学び、明治元年、帰国。
工部省鉄道頭(後の鉄道局長)となり、明治5年新橋〜横浜間を開通させ、明治22年、東京〜神戸間を全通させた。
明治23年、鉄道庁長官。
明治29年、汽車製造会社を設立して初代社長。
鉄道院顧問として欧米視察中、明治43年8月2日、ロンドンで死去。
68歳。
如何でしたか?
所謂長州ファイブって呼ばれる5人ですね。
井上馨と伊藤博文以外は少しマイナーですが、今の日本に大きく貢献しているようですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!