こんにちは!
今日は、佐藤派五奉行について紹介したいと思います!
佐藤派五奉行とは、佐藤栄作派の最高幹部と目された5人の有力政治家です。
佐藤派五奉行に選ばれたのは、
田中角栄(たなかかくえい)
橋本登美三郎(はしもととみさぶろう)
愛知揆一(あいちきいち)
松野頼三(まつのらいぞう)
の5人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
田中角栄とは、昭和時代後期の政治家。
大正7年5月4日生まれ。
田中真紀子の父。
高等小学校卒業後、上京し、土建業を営む。
佐藤派に属す。
第1次岸内閣の郵政相をはじめ、蔵相(2回)、通産相、党の政調会長、幹事長を歴任。
昭和47年、首相となる。
日中国交を正常化し、国土開発を図るが、日本列島改造構想で土地投機の過熱を招く。
昭和49年、金脈問題を批判され退陣。
昭和51年、ロッキード事件で逮捕・起訴された。
平成5年12月16日、死去。
75歳。
新潟県出身。
中央工学校卒。
著作に『日本列島改造論』。
保利茂とは、昭和時代の政治家。
明治34年12月20日生まれ。
報知新聞、東京日日新聞の記者を経て、昭和19年、衆議院議員(当選12回)。
昭和25年、自由党に加わり、吉田茂に重用され、労相、官房長官、農相を歴任。
昭和51年、衆議院議長。
昭和54年3月4日、死去。
77歳。
佐賀県出身。
中央大卒。
橋本登美三郎
橋本登美三郎とは、昭和時代の政治家。
明治34年3月5日生まれ。
朝日新聞社記者、故郷茨城県の潮来町長を経て、昭和24年、衆議院議員(当選12回、自民党)。
第1次池田内閣・第1次佐藤内閣の建設相、第3次佐藤内閣の運輸相等を務め、田中政権では幹事長となるが、ロッキード事件で有罪判決を受けた。
平成2年1月19日、死去。
88歳。
早大卒。
愛知揆一
愛知揆一とは、昭和時代の官僚、政治家。
明治40年10月10日生まれ。
愛知敬一の長男。
大蔵省に入り、銀行局長等を経て、昭和25年、参議院議員、昭和30年、衆議院議員(当選7回、自民党)。
吉田、岸、池田、佐藤、田中の各内閣で通産相、法相、文相、外相、蔵相等を務めた。
昭和48年11月23日、死去。
66歳。
東京帝大卒。
松野頼三とは、昭和時代後期の政治家。
大正6年2月12日生まれ。
松野鶴平の3男。
終戦時は海軍主計少佐。
第2次岸内閣の労相をはじめ、防衛庁長官、農相を務めた。
昭和54年、グラマン疑惑で議員を辞職したが、昭和55年、衆議院議員に復帰(通算当選15回)。
昭和58年、復党した。
平成18年5月10日、死去。
89歳。
熊本県出身。
慶大卒。
如何でしたか?
佐藤栄作の次の内閣総理大臣が田中角栄なので、田中角栄は佐藤栄作の後継者だったのですね。
今の内閣総理大臣である菅義偉は、苺農家から法政大学の夜間学部に通っていたので、少し田中角栄に似ているかもしれないですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!