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幕末の四大人斬りって誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、幕末の四大人斬りについて紹介したいと思います!

幕末の四大人斬りとは、幕末期の京都において暗殺活動を行い、「人斬り」の異名を取る尊王攘夷派の4人の志士の呼称です。

 

幕末の四大人斬りに選ばれたのは、

田中新兵衛(たなかしんべえ)

河上彦斎(かわかみげんさい)

岡田以蔵(おかだいぞう)

桐野利秋(きりのとしあき

の4人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

田中新兵衛

 

 

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田中新兵衛とは、幕末の薩摩(鹿児島)藩士

尊攘派の志士。

薬種商の子とも船頭の子とも。

安政6年(1859年)の尊攘派の同盟脱藩の時に船の用意を依頼されたというから後者か。

文久2年(1862年)、上洛、同年7月、前関白九条尚忠の臣、島田左近を殺害。

京における天誅のはじめである。

文久3年5月、姉小路公知暗殺事件があった。

これの容疑がかけられ逮捕され、審問を受ける前に京都町奉行所内で切腹

真犯人は未だに不明。

この事件は司馬遼太郎の小説『人斬り』の素材の1つになり、昭和44年(1969年)、五社英雄によって映画化された時、三島由紀夫田中新兵衛役、町奉行所内での切腹のシーンを演じた。

因みに、三島が切腹自殺したのは昭和45年11月25日。

 

 

 

 

 

河上彦斎

 

 

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河上彦斎とは、幕末維新期の尊攘派志士。

名は玄明。

父は肥後藩熊本県藩士の小森貞助、母は和歌。

幼少時に河上家の養子となり彦斎と名乗る。

後に高田源兵衛と改名。

林桜園の原道館で皇学を修める。

文久2年(1862年)、細川護美に従って上京、翌年親兵に選ばれたが、8月18日の政変で長州に下った。

「人斬り彦斎」の異名をとり、元治1年(1864年)に佐久間象山を暗殺した刺客の1人でもある。

翌年の第2次長州征討では高杉晋作に協力し、自藩の小倉出兵を中止させようと帰藩して捕らえられた。

明治1年(1868年)、許されて藩の兵士隊長となるが、長州藩脱隊騒動に関係する等、反体制的言動が問われ、後に東京で刑死した。

 

 

 

 

 

岡田以蔵

 

 

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岡田以蔵とは、幕末の土佐(高知)藩郷士、尊攘の志士。

土佐郡江ノ口村(高知市)生まれ。

資性強豪、安政3年(1856年)、江戸の桃井春蔵道場で剣術修行。

万延1年(1860年)、武市瑞山に従って四国、中国、九州諸藩を剣術修行に回遊。

文久1年(1861年)、土佐勤王党に参加、翌年、同志らと入京、薩藩の田中新兵衛らと天誅行動の急先鋒となり、多くの佐幕派に危害を加えたが、中には吉田東洋暗殺犯人探索で上京した藩監察の井上佐一郎惨殺もあり、人斬り以蔵の異名を得た。

文久3年5月、姉小路公知暗殺事件で嫌疑を受け、京摂の間に潜伏、同年秋、土佐勤王党の獄が起こるや捕縛され、井上殺害を自白して斬刑に処せられた。

 

 

 

 

 

桐野利秋

 

 

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桐野利秋とは、幕末の薩摩(鹿児島)藩士、明治期の陸軍少将。

薩摩国鹿児島郡吉野村(鹿児島市吉野町)の微禄の藩士の中村兼秋、スガ子の3男。

通称は半次郎、信作。

明治に至り先祖の旧姓桐野に復した。

極貧の中、刻苦精励して成長、武芸に志し古示現流の奥義を極めた。

文久2年(1862年)、藩主の実父、島津久光の上洛部隊に編入されて上京、中川宮朝彦親王付守衛となり、諸藩の勤王の志士と交流、天誅行動で鳴らし「人斬り半次郎」の異名をとった。

文久3年8月、政変の後、長州藩の内情探索に当たり、翌元治1年(1864年)の禁門の変にも大活躍して西郷隆盛の信頼を得た。

鳥羽・伏見の戦いに薩摩軍小頭見習として奮闘、次いで東海道先鋒総督軍に属して江戸に入り、会津征討総督軍の軍監に任じ、軍功あった。

明治2年(1869年)、鹿児島藩常備隊大隊長明治4年御親兵編成で大隊長として上京、陸軍少将に任じられ、明治5年、熊本鎮台司令長官、明治6年、陸軍裁判所長を歴任したが、征韓論政変(1873年)で西郷隆盛に従って下野、その後、村田新八篠原国幹らと鹿児島の私学校運営の衝に当たり、西郷派士族の教育、軍事訓練と士族層の生活維持の為の開墾に尽力した。

西南戦争(1877年)では西郷軍総指揮者として鹿児島城山で西郷らと共に討死した。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

岡田以蔵は『龍馬伝』、桐野利秋中村半次郎)は『西郷どん』と、最近の大河ドラマにも登場していましたね。

岡田以蔵役は佐藤健桐野利秋役は大野拓朗が演じており、どちらも格好良かったです!

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!