こんにちは!
今日は、四職について紹介したいと思います!
四職とは、室町幕府の軍事指揮と京都市中の警察・徴税等を司る侍所の長官(頭人、所司)に交代で任じられた守護大名の総称です。
四職に選ばれたのは、
赤松氏
一色氏
京極氏
山名氏
の4つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
赤松氏
赤松氏とは、村上源氏の一流で播磨の豪族。
九条家領播磨国佐用郡佐用荘赤松村を本拠として赤松氏を称し、則村の時、後醍醐天皇の命に応じて討幕の兵を挙げ、後に足利尊氏に属して播磨守護。
その子の範資は摂津守護、則祐は播磨、美作、備前の守護となり、四職家の1つとして幕閣に重きをなした。
しかし、則祐の孫の満祐が、嘉吉1年(1441年)、将軍義教を暗殺した為、幕府軍に攻められて自殺、一族は没落。
その後、政則の時、将軍義政の許しを得て家を再興。
応仁の乱には東軍の将として活躍、播磨、備前、美作を回復した。
しかし、その死後は、家臣浦上、宇喜多両氏に勢力を奪われ、則房死後は後嗣なく、断絶。
庶流赤松広通も関ヶ原の戦いで西軍に属し、戦死して断絶。
一色氏
一色氏とは、足利氏の一族。
足利泰氏の子である公深が三河吉良荘一色に居住して一色を称し、子孫は四職家の1つとして重用され、丹後、若狭等の守護として活躍したが、永享12年(1440年)、一色義貫が将軍足利義教の為に殺されてから勢力を失った。
京極氏
京極氏とは、宇多源氏、近江佐々木氏の一流。
応仁の乱後は奮わず、高次の代に織田信長、豊臣秀吉に仕えて勢力を挽回したが、昔日の繁栄には及ばなかった。
江戸時代は讃岐丸亀等の藩主として幕末にいたり、明治に入って子爵を授けられた。
山名氏
清和源氏。
新田義重の長子である義範が上野国多胡郡山名に住し、山名三郎を称したのに始まる。
鎌倉時代には里見氏、大館氏らと共に新田氏を惣領家と仰ぎ、南北朝時代には足利方に属して侍所の所司となり、また但馬、因幡等11ヶ国の守護を兼ね六分一殿と称せられた。
明徳の乱で一族相争い、伯耆、因幡、但馬3国が残るのみとなり勢力は一時衰えたが、嘉吉の乱に際し持豊(宗全)が勢力を回復。
乱後は衰勢し、やがて徳川家康に仕えて但馬村岡6700石を与えられ、交代寄合となった。
如何でしたか?
しかし、江戸幕府で大名として残ったのは京極くらいですね。
三管領も細川以外は衰退しているので、やはり長い栄光を続けるのは難しいですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!