こんにちは!
今日は、江戸三座について紹介したいと思います!
江戸三座に選ばれたのは、
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
中村座とは、歌舞伎劇場の名。
江戸三座のうち、最も古く由緒を持つ劇場。
1世猿若勘三郎が寛永1年(1624年)2月、江戸中橋に劇場を建設して猿若座と称したのが最初で、後に本姓の中村を取って中村座と称した。
寛永9年(1632年)、禰宜町に、次いで慶安4年(1651年)、上堺町(堺町)に移って栄えたが、天保13年(1842年)、天保の改革で3座ともに猿若町に移転を命じられた。
明治以後は衰運に傾き、都座、猿若座と改称、1884年、浅草鳥越に移って興行したが、1893年の焼失後再建できず、且つ1895年に13世中村勘三郎が没して中村座の名は名実ともに消滅した。
市村座とは、17世紀後半から1932年まで江戸(東京)にあった歌舞伎劇場。
寛文3年(1663年)頃、興行権を村山座から譲り受けた名義1世市村羽左衛門(3世市村羽左衛門)が創設したのに始まるが、市村座では前身の村山座の座元、村山又三郎と村山九郎右衛門をそれぞれ1世市村羽左衛門、2世市村羽左衛門としている。
江戸時代200年間、経済的事情からの休座はあったが、代々市村羽左衛門の経営の元に存続し、中村座、森田座(守田座)とともに江戸の由緒ある劇場として江戸三座に数えられた。
明治5年(1872年)、市村家との関係は絶えたが、1908年、田村成義の経営の元に6世尾上菊五郎、1世中村吉右衛門、7世坂東三津五郎らの若手歌舞伎で、大正、昭和初期の全盛期を現出した。
守田座とは、歌舞伎劇場。
初め「森田座」。
明暦3年(1657年)の大火から3年後の万治3年(1660年)、森田太郎兵衛によって江戸木挽町5丁目に創建された。
寛文1年(1661年)、太郎兵衛は養子をとり、森田勘弥と名乗らせ座元とした。
享保19年(1734年)、財政困難の為、休座を出願。
この為、河原崎座が、これに代わる「控櫓」の興行制度を生んだ。
この休座は延享1年(1744年)まで続いたが、以後数回休座した。
天保13年(1842年)の改革で、浅草聖天町に移転を命じられ、河原崎座は猿若町3丁目に代地を定められた。
折下、控櫓興行中のことで、森田座としての興行再開は安政3年(1856年)5月。
明治5年(1872年)、12世座元勘弥は、劇場街の制限改廃を機に新富町に新劇場を設立。
1875年、「新富座」と改称した。
如何でしたか?
今の歌舞伎の元となった3つの劇場ですね。
私は、歌舞伎を1度も観たことがないので、1度観に行ってみたいと思います!
最後までお読み頂き有難う御座いました!