こんにちは!
今日は、寛政の三忠臣について紹介したいと思います!
寛政の三忠臣とは、江戸時代の寛政期に幕府内で活躍した3人のことです。
寛政の三忠臣に選ばれたのは、
本多忠籌(ほんだただかず)
加納久周(かのうひさのり)
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
松平定信とは、江戸時代中期〜後期の大名。
宝暦8年12月27日生まれ。
徳川吉宗の孫。
田安宗武の7男。
松平定邦の婿養子となり、天明3年、陸奥白河藩(福島県)藩主松平(久松)家3代。
藩の農政、財政に実績を挙げ、天明7年、老中首座、翌年将軍補佐に就任。
田沼政治を刷新する為、旧里帰農奨励令、札差棄捐令、風俗匡正令、物価引下令、人足寄場設置令、異学の禁等の寛政の改革を断行した。
文政12年5月13日死去。
72歳。
号は花月主人、楽翁等。
越中守。
著作に『国本論』『集古十種』、随筆『花月草紙』、歌集『三草集』、自伝『宇下人言』等。
本多忠籌
本多忠籌とは、江戸時代中期〜後期の大名。
元文4年12月8日生まれ。
本多忠如の長男。
宝暦4年、陸奥泉藩(福島県)藩主本多家2代となり、藩財政の再建に力を注いだ。
松平定信に抜擢され若年寄、側用人を経て、老中格となり、松平定信の寛政の改革に補佐役として尽力。
文化9年12月15日死去。
74歳。
通称は雄之進、大蔵。
号は水翁。
加納久周
加納久周とは、江戸時代中期〜後期の大名。
宝暦3年生まれ。
大岡忠光の次男。
加納久堅の養子となり、天明6年、伊勢(三重県)東阿倉川藩主加納家3代。
松平定信と親交を結び、松平定信が寛政の改革に乗り出すと、若年寄格として改革の推進に活躍。
文化8年6月2日死去。
59歳。
号は長翁。
如何でしたか?
寛政の改革と言えば松平定信ですが、その松平定信を補佐した人物は知りませんでした。
しかも、加納久周は大岡忠光の子であるとは驚きました。
最後までお読み頂き有難う御座いました!