こんにちは!
今日は、江戸中期の三名君について紹介したいと思います!
江戸中期の三名君に選ばれたのは、
上杉治憲(出羽米沢藩主)
細川重賢(肥後熊本藩主)
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
上杉治憲
上杉治憲とは、江戸時代中期の大名。
秋月種美の次男。
上杉重定の養子となり、明和4年、出羽米沢藩(山形県)藩主上杉家9代を継ぐ。
細井平洲に師事。
竹俣当綱、莅戸太華らを登用。
倹約を奨励し、農村復興・殖産興業政策等により藩財政を改革した。
天明5年、隠居。
跡継ぎの治広に与えた家訓「伝国之辞」は有名。
文政5年3月12日、死去。
72歳。
幼名は直松、直丸。
号は鷹山。
徳川治貞とは、江戸時代中期の大名。
享保13年2月16日生まれ。
松平頼邑の養子となり、宝暦3年、伊予(愛媛県)西条藩主紀伊松平家5代。
安永4年、和歌山藩主徳川家9代となる。
人材の登用、倹約の奨励、訴訟箱の設置等により藩政の改革にあたった。
寛政元年10月26日、死去。
62歳。
初名は頼淳。
細川重賢
細川重賢とは、江戸時代中期の大名。
享保5年12月26日生まれ。
細川宣紀の5男。
兄である細川宗孝の養子となり、延享4年、肥後熊本藩主細川家6代。
堀平太左衛門を大奉行に登用し、殖産興業を奨励、藩校時習館を設置する等、藩政刷新に成果を挙げた。
天明5年10月26日、死去。
66歳。
初名は紀雄。
幼名は六之助。
号は銀台。
如何でしたか?
上杉治憲は、比較的有名ですが、残りの2人はあまり知られていないのではないでしょうか?
細川家は、戦国時代の細川藤孝、細川忠興が有名かもしれないですね。
紀伊和歌山藩の徳川家は、やはり8代将軍の徳川吉宗が有名ですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!