こんにちは!
今日は、水野三羽烏について紹介したいと思います!
水野三羽烏とは、水野忠邦の「天保の改革」で活躍した3人のことです。
水野三羽烏に選ばれたのは、
鳥居耀蔵(とりいようぞう)
渋川敬直(しぶかわひろなお)
後藤三右衛門(ごとうさんえもん)
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
鳥居耀蔵とは、江戸時代後期の武士。
寛政8年11月24日生まれ。
林述斎の子。
旗本鳥居一学の養子。
幕臣。
甲斐守(かいのかみ)。
12年江戸南町奉行となり、水野忠邦の片腕として天保の改革を推進。
厳しい取り締まりで「妖怪(ようかい)(耀甲斐)」と恐れられていた。
明治6年10月3日死去。
78歳。
名は忠耀(ただてる)。
号は胖庵。
渋川敬直とは、江戸時代後期の暦算家。
文化12年生まれ。
渋川景佑(かげすけ)の長男。
天保(てんぽう)2年幕府の天文方見習となり、父を助け『新法暦書』等を編集。
13年から書物奉行を兼ねる。
鳥居耀蔵(ようぞう)、後藤三右衛門と共に水野忠邦の天保の改革を進めるが、忠邦の失脚により豊後(ぶんご)(大分県)臼杵(うすき)藩に幽閉となる。
37歳。
江戸出身。
通称は六蔵。
号は福堂。
著作に『英文鑑』『見はてぬ夢』等。
後藤三右衛門とは、江戸時代後期の御金改役(おかねあらためやく)。
初代の養子となり、文化13年(1816)家督を相続。
文政・天保(てんぽう)の改鋳で幕府に貢献、水野忠邦に取り立てられる。
忠邦失脚後の弘化(こうか)2年10月、驕奢(きょうしゃ)等を理由に処刑され、三右衛門家は断絶した。
信濃(しなの)(長野県)出身。
本姓は林。
名は奥輔、後、光亨(みつみち)。
如何でしたか?
水野忠邦自体は知っていましたが、その下で活躍した人物の名前は知りませんでした。
天保の改革は、あまり良い改革ではなかったですが、何事もリーダーの元で頑張った人はいると思うので、そのような人物も覚えていきたいです。
最後までお読み頂き有難う御座いました!