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明治陸軍の三羽烏って誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、明治陸軍の三羽烏について紹介したいと思います!

 

明治陸軍の三羽烏に選ばれたのは、

川上操六(かわかみそうろく)

桂太郎

児玉源太郎

の3人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

川上操六

 

 

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川上操六とは、陸軍軍人。

近代的戦略を導入した。

薩摩藩洋式兵分隊隊長として、鳥羽・伏見の戦い戊辰戦争(ぼしんせんそう)に従軍。

明治4 (1871) 年陸軍中尉となり、1877年西南戦争に官軍側で従軍。

84年大山巌陸軍卿に随行してヨーロッパ、アメリカの兵制を視察し、87年にはドイツに留学。

89年参謀次長となり、95年に日清戦争に出征、子爵の称号を得た。

98年大将、参謀総長

 

 

 

 

 

桂太郎

 

 

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桂太郎とは、軍人、政治家。

1886年陸軍次官となり、陸軍軍制をドイツ式に改革、1888年鎮台を廃し、師団を置いた。

1901~06、1908~11、1912~13年と3度組閣、この間首相として日英同盟締結、日露戦争日韓併合大逆事件に際会した。

このうち朝鮮半島については伊藤博文の政策に比べ積極的な併合政策を主張。

山県有朋の支持を得て日韓併合を導いている。

1898年陸軍大将、1911年公爵。

 

 

 

 

 

児玉源太郎

 

 

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児玉源太郎とは、陸軍軍人。

父は徳山藩士。

戊辰戦争(ぼしんせんそう)等に参加した後、明治2 (1869) 年に大阪兵学寮に入り、1881年准少尉。

西南戦争に参加。

85年参謀本部第1局長として陸軍兵制の近代化を進めた。

陸軍大学校校長などを経て、91年ヨーロッパ視察。

92年陸軍次官兼軍務局長、98年台湾総督。

1900~01年第4次伊藤博文内閣の陸相

01~03年桂太郎内閣でも内相、文相を兼務して陸相留任。

日露戦争満州軍総参謀長。

06年参謀総長となったが、在職中に死亡。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

桂太郎児玉源太郎は、日本史でも登場してきますね。

桂太郎は、桂園時代と呼ばれ、西園寺公望と交互に内閣総理大臣を務めていましたね。

また、『坂の上の雲』では、3人とも登場してきますね。

特に、児玉源太郎が私は好きです。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!