こんにちは!
今日は、海軍兵術の三羽烏について紹介したいと思います!
海軍兵術の三羽烏とは、明治期に海軍兵術の研究で有名だった3人の軍人です。
海軍兵術の三羽烏に選ばれたのは、
佐藤鉄太郎
秋山真之(あきやまさねゆき)
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
鈴木貫太郎とは、明治〜昭和時代の軍人、政治家。
慶応3年12月24日生まれ。
大正12年海軍大将。
11年二・二六事件で重傷を負う。
19年枢密院議長。
20年4月首相に起用され、8月ポツダム宣言の受諾、降伏を決定し、総辞職した。
昭和23年4月17日死去。
82歳。
和泉(いずみ)(大阪府)出身。
海軍大学校卒。
佐藤鉄太郎
佐藤鉄太郎とは、明治〜大正時代の軍人。
慶応2年7月13日生まれ。
日清戦争には軍艦赤城(あかぎ)航海長、日露戦争には第二艦隊参謀として従軍。
後、海軍大学校校長となり、大正5年海軍中将。
戦史研究家として知られ、著作に『帝国国防史論』がある。
昭和17年3月4日死去。
77歳。
出羽(でわ)田川郡(山形県)出身。
海軍大学校卒。
本姓は平向。
秋山真之とは、明治〜大正時代の軍人。
慶応4年3月20日生まれ。
秋山好古(よしふる)の弟。
帰国後、常備艦隊参謀となる。
日本海海戦での「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」の報告文は有名。
大正3年軍務局長。
6年海軍中将。
戦略家として知られた。
大正7年2月4日死去。
51歳。
伊予(いよ)(愛媛県)出身。
海軍兵学校卒。
如何でしたか?
秋山真之は、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の主人公にもなっていますね。
佐藤鉄太郎は、初めて知りました。
最後までお読み頂き有難う御座いました!