こんにちは!
今日は、日本三大財閥について紹介したいと思います!
財閥とは、第二次大戦前の日本で、コンツェルンの形態をとり、同族の閉鎖的な所有・支配のもとに、持株会社を中核として多角的経営を行っていた独占的巨大企業集団のことです。
日本三大財閥に選ばれたのは、
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
明治維新以降わずか 20年の間に岩崎弥太郎によって基礎が築かれた。
1873年にそれまで土佐藩の庇護下にあった回漕業を三菱商会(1875郵便汽船三菱会社と改称)と改称、以後明治政府の保護を受けて 1874年台湾征討、1877年西南戦争に協力、海運業で独占的地位を築く。
1886年三菱社を設立し、日本郵船をはじめ貿易、銀行、保険、鉱業など岩崎一族の各種事業を経営、1887年官営の長崎造船所の払い下げを受けて重工業に進出。
第1次世界大戦から大正末期にかけて三菱合資の銀行部、鉱山部、造船部、炭坑部、営業部、地所部など各事業部門を次々に分離独立させ、新規事業にも積極的に進出、ほかに東京海上火災保険、明治生命(明治生命保険)、三菱倉庫、三菱製紙所(三菱製紙)、旭硝子(AGC)、麒麟麦酒など有力企業を傘下に収めてコンツェルン組織を確立、1930年代には三菱重工業を設立するなど軍需工業で圧倒的な地位を占めた。
第2次世界大戦後の財閥解体指定時には、三菱合資の後身である三菱本社のもとに系列会社数 189、その払込資本金総額 47億円に達していた。
財閥解体により三菱本社、三菱商事は完全に解散、三菱重工業、三菱鉱業は分割されるなど財閥は崩壊したが、1950年代中期から相互合併などによって徐々に旧各社の体制を整え、今日では三菱グループを形成して日本最大級の企業集団となっている。
三井財閥とは、三井家によって形成された日本最大の総合財閥。
17世紀末三井高利によって、商業および金融業を営む江戸時代最大の豪商としての基礎が築かれ、明治維新に財政援助をするなど新政府との関係を深め、政商としての基礎を固めた。
明治初期には三井銀行、三井物産 (ともに 1876設立) など銀行、商業が中心であったが、中期以降三池炭鉱 (88) など重要な官営工場、鉱山の払下げを受けて鉱工業にも進出、1909年に設立した持株会社の三井合名会社を本拠に事業内容は商業、金融、鉱工業と多岐にわたった。
第1次世界大戦から第2次世界大戦にかけて、新企業の設立や弱小企業の吸収合併により膨張を続け日本最大の財閥に発展。
第2次世界大戦初期に一時軍部や右翼などの攻撃を受けたが、大戦中は軍部とも結び軍事産業や植民地経営で重要な役割を演じた。
40年三井合名は三井物産に合併され、さらに 44年三井本社として独立した。
大戦後の財閥解体指定時には三井本社を中心に系列会社数 278、その払込資本金総額 55億円に達していた。
住友財閥とは、四大財閥の1つ。
元禄年間に別子銅山を開坑、鉱山業を軸として富豪になった住友家が明治、大正、昭和にわたって築き上げた、三井財閥、三菱財閥に次ぐ重化学工業のコンツェルン。
明治年間に別子銅山の近代化によって急速に成長し、伸銅、管、電線、炭鉱、肥料、電力、建設、倉庫などに進出し、昭和に入ってからは住友化学、住友金属鉱山、住友電気工業、住友大阪セメント(住友セメント)、日本電気などとして現在まで続いている企業群を擁して大コンツェルンとなった。
金融面では住友銀行を中核に、住友生命保険、住友信託などをもっていた。
1875年に設立された持株会社として統轄権をもつ住友本店は 1909年住友総本店と改称、1921年住友合資会社に改組、1937年株式会社住友本社となった。
第2次世界大戦中も大阪を本拠とする軍需財閥として発展したが、戦後は財閥解体を受け,その後再び銀行、化学、金属を中心に住友グループとして再編成されている。
如何でしたか?
どの財閥も、現在日本を支えている大企業に名前が残っていますね!
また、四大財閥という言葉も出てきてたので、また紹介したいと思います!
最後までお読み頂き有難う御座いました!