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世界三大ファッション都市って何?

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、世界三大ファッション都市について紹介したいと思います!

 

世界三大ファッション都市に選ばれたのは、

ニューヨーク

パリ

ロンドン

の3つです。

因みに、これはアメリカの調査会社によって決められました。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

ニューヨーク

 

 

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ニューヨークとは、アメリカ合衆国ニューヨーク州南東部、ハドソン川河口にあり、ニューヨーク湾に臨む同国最大の都市。

西半球で最も人口の多い都市の1つで、マンハッタン、ブロンクス、クイーンズ、ブルックリン、スタテン島の 5区からなる。

1614年にオランダ人が入植し、ニューアムステルダム命名した。

1664年イギリス領になり、ニューヨークと改称。

1789~90年アメリカの首都。

1825年エリー運河が開通し、以後商工業が発達。

20世紀初頭から多数の移民が入り、大都市として発展した(エリス島)。

特に第1次世界大戦後世界の金融の中心となり、マンハッタンにはニューヨーク証券取引所をはじめ銀行などが集中。

アメリカ最大の工業都市であり、ブルックリン、クイーンズを中心に衣料、皮革、製紙、印刷、食品加工、化学、電機など、多様な工業が発達。

ニューヨーク港はアメリカ最大の商港でもある。

また 1946年国際連合の本部が設けられ、国際政治の中心となった。

市街地は東西と南北の道路で碁盤目状につくられ、エンパイア・ステート・ビル(381m)などがそびえ立つ摩天楼はニューヨークの象徴ともなっているが、そのうちの1つ、世界貿易センター(417m)は 2001年9月11日にテロの攻撃を受け崩壊(アメリカ同時テロ)。

世界各地から移民の流入が絶えず、ハーレム、リトルイタリー、チャイナタウンなどがつくられた。

1960年以降はヒスパニック系の移民が増加、初めはプエルトリコドミニカ共和国から、のちにはメキシコなど中南米からの移民が続き、2000年には黒人とともにそれぞれ人口の 27%を占めるまでになった。

コロンビア大学ニューヨーク近代美術館メトロポリタン美術館リンカーン・センター、マジソン・スクエア・ガーデンなど、多くの学術施設、文化施設がある。

タイムズスクエア付近には映画館、劇場が集中する。

グリニッチビレッジは、多くの芸術家の集まる場所として、国際的に有名。

大都市に共通した過密化、交通渋滞、犯罪などの問題が多いが、市はその解決に多額の予算を投じている。

面積 790㎢。

人口 817万5133(2010)。

 

 

 

 

パリ

 

 

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パリとは、フランスの首都。

フランス北部、パリ盆地の中心に位置する。

古代名ルテチア Lutetia (ラテン語) 、ルコティキア Loukotikia (ギリシア語) 。

1市で1県 (ビルドパリ県) を構成し、20区に分かれる。モンマルトル、ショーモン、パッシー、ムードンなどのなだらかな丘陵が周囲を取り巻き、中央をほぼ東から西にセーヌ川が流れる。

セーヌ川川中島としてシテ、サンルイの2島があるが、シテ島はパリの発祥地で、前3世紀中頃から古代ケルト人の一部族パリジイ人 (パリの名称の由来) が住みついていた。

前 52年、カエサルのローマ軍に征服されてその植民都市ルテチアとなり、市街地はセーヌ川左岸の現ラテン区に発展。

5世紀末パリと改称、以後6世紀末までフランク王国の首都。

987年にはユーグ・カペーがフランス最初の国王としてカペー朝を樹立、パリをフランスの首都とした。

12世紀にはフィリップ・オーギュストが市街を整備、セーヌ両岸にまたがる城壁を建設。

14世紀初頭にはフランス最大の都市となり,人口も急増して、右岸の城壁は拡大された。

19世紀半ばナポレオン3世の時代に都市計画を実施、その後も発展が続いた。

19世紀における人口増加は著しく、初頭は約 50万人だったのに対し、1851年には約 130万人、1896年には約 250万人とふくれ上がった。

20世紀に入ると、郊外に人が移るなどして、1921年の 290万人をピークにパリ市としての人口は減少傾向をみせ始めた。

パリは政治、文化、経済、金融、産業などすべての分野にわたるフランスの中心地であるとともに観光、芸術などの面で世界有数の都市である。

貴金属加工や皮革製品、衣服、陶器などの製造も盛んで、それらの製品は奢侈品として世界中から広く愛用されているものが多い。

さらに周辺地区では自動車、電機、機械などをはじめとする近代工業が発達している。

1955年以降は工場建設を規制し、地方分散を進め、パリへの一極集中を避けている。

商業ではホテル、レストラン、娯楽施設など観光関連産業が中心。

シテ島はパリの中心で、ノートル・ダム大聖堂 (1163~1345) 、ステンドグラスの壮麗なサント・シャペル (1248) 、コンシエルジュリー (14世紀。フランス革命時の牢獄) がある。

セーヌ左岸は学問と芸術の町で、ラテン区に世界最古の大学の1つであるパリ大学がある。

このほかリュクサンブール公園、パリの象徴ともいえるエッフェル塔がある。

セーヌ右岸は政治、経済の町であるが、世界最大級の美術館として知られるルーブル美術館コンコルド広場、シャンゼリゼ通り、凱旋門オペラ座があるほか、サクレ・クール聖堂のあるモンマルトル、ブーローニュの森などが広がる。

これらセーヌ川河岸一帯は 1991年世界遺産文化遺産に登録された。

さらに周辺には、シテユニベルシテール (大学都市) 、デファンス地区再開発事業による高層オフィス・住宅群など大規模な都市計画による新しい町づくりがみられる。

オルリー、シャルルドゴールの二大空港が全世界と結んでいる。

国連教育科学文化機関 UNESCOの本部がある。

市域面積 105㎢。

人口 221万1297(2008)。

 

 

 

 

ロンドン

 

 

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ロンドンとは、イギリスの首都。

イングランド南東部、テムズ川の河口より約 80km上流の沿岸に位置する。

43年、ローマ皇帝クラウディウス1世による征服後、湿地帯を横切る距離が最短ですむ渡河点としてテムズ川に架橋されて以来、橋頭集落ロンディニウムとして発達した。

1066年、ノルマンディー公ウィリアム(ウィリアム1世)がウェストミンスター寺院イングランド王に即位してから、イングランドの首都として発展。

1664~65年疫病が大流行、1666年のロンドン大火で市街地の大半を焼失したが、エリザベス朝時代に飛躍的な発展を遂げ、17世紀には国際金融市場の中心地となった。

第2次世界大戦まで大英帝国の首都として繁栄、その後大英帝国の衰退に伴って世界経済における市の重要性は低下したが、旧植民地を含むイギリス連邦の政治、経済の中心地としての、またヨーロッパ連合 EU第三世界に対する貿易・金融上の大中心地としての地位は依然として維持し、アメリカ合衆国のニューヨーク、スイスのチューリヒと並ぶ国際金融界の大取引場として大きな影響力を及ぼしている。

タワーブリッジより下流テムズ川の水路と、その沿岸に並ぶドック群,埠頭からなるロンドン港はイギリス最大の貿易港で、おもに食糧と工業原料を輸入、工業製品を輸出する。

工業部門は、中心市街部では奢侈品、家具、衣料などの製造、テムズ川沿岸部では製粉、製糖や、石油精製、自動車製造、造船を含む重化学工業、郊外部では機械、電機などの工業が中心。

炭田を背後に控えて発展したイギリスのほかの工業都市とは異なるが、膨大な労働力と消費人口を抱える、イギリス最大の工業中心地となっている。

18世紀以降、急激に都市化が進み、1888年ロンドン市(シティ)を中心とした市街化地域がロンドン県となったが、その後も都市域が拡大し続けたため、1965年同県は廃止された。

これに代わって郊外の住宅地を含めてグレーターロンドンというコナベーション(連接都市域)が設置された。

イングランド銀行大英博物館ウェストミンスター寺院、バッキンガム宮殿、ロンドン塔、イギリス国会議事堂セント・ポール大聖堂、ギルドホール、ナショナル・ギャラリー、ロンドン博物館など歴史的建造物が多い。

イギリス最大の総合大学であるロンドン大学をはじめとする多数の高等教育機関がある。

イギリス最大の交通中心地でもあり、全国各地からの鉄道、道路が集まり、西郊にヒースロー国際空港、南郊にガトウィック空港がある。

面積 1572㎢。

人口 817万3941(2011)。

 

 

 

 

如何でしたか?

 

予想通りの3都市ではないでしょうか?

今までは都市に対する憧れが多かったですが、最近は密を避けるために地方に行きたいという考えの方もいると思います。

少なくとも、リモートワークが普及することにより、都市一極集中は緩和されると思います。

それと同時に、地方創生に繋がればなお良いことだと考えました。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!