こんにちは!
今日は、日本プロ野球のシーズン三塁打ベスト3について紹介したいと思います!
1位:金田正泰
2位:ラリー・レインズ
3位:蔭山和夫
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
金田正泰
金田正泰とは、京都府京都市出身(朝鮮・慶尚北道生まれ)のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者。
シーズン最多3塁打の日本記録保持者(18本)。
1951年にはシーズン18三塁打の日本記録を樹立し(2021年現在も破られていない)、1953年からも2年連続でリーグ最多三塁打。
ラリー・レインズ
ラリー・レインズとは、アメリカ合衆国ウェストバージニア州出身の元プロ野球選手(内野手)。
通称「黒い稲妻」「黒いハヤブサ」。
走・攻・守の三拍子が揃う、との表現がぴたりと当てはまる選手であった。
一番打者として出塁すると、次打者の初球で二盗に成功してスタンドを沸かすのをお家芸としていた。
守備でも、遊撃手として左右ムラなく守れた上、内野安打と思われる打球を鉄砲肩で屡々アウトにして見せた。
1953年に23歳で来日し、阪急ブレーブスに入団。
主に一番・遊撃手を務めるが、開幕戦から20試合連続で安打を放つと、1年目からオールスターゲームに選出され、シーズンでは打率.286(リーグ9位)、61盗塁を記録して盗塁王のタイトルを獲得した。
このシーズンに記録した16三塁打は、現在もパ・リーグ記録である。
蔭山和夫
1950年に南海ホークスに入団。
開幕から主に二塁手として起用され、5割強の出塁率を残し、規定打席(13位、打率.287)にも達する。
同年の15三塁打は1946年の鈴木清一を上回る当時の日本記録(翌年に金田正泰が更に更新)で、2021年現在まで新人最多記録となっている。
また、本塁打9本は、当時の南海監督鶴岡一人が戦前の1リーグ時代の1939年に記録した10本塁打に次ぐ記録で、1961年に小池兼司が同じ9本で並んだものの、2022年に野村勇が上回るまで、2リーグ制以降の球団新人最多記録であった。
如何でしたか?
三塁打自体がそもそもあまり見ないので、シーズンで沢山出るというのは、打撃と走塁を兼ね備えているということになりますね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!