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日本三大芸道って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、日本三大芸道について紹介したいと思います!

 

日本三大芸道に選ばれたのは、

茶道

華道

香道

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

茶道

 

 

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茶道とは、「さどう」、茶の湯とも言う。

中国伝来の喫茶の風習が日本独自の発達を遂げたもの。

亭主・客の交歓の作法や茶道具、庭園や建築、絵画、書、更に精神的訓練までをも含めた総合的な文化。
喫茶の習慣は遣唐使によって奈良時代から平安時代の初期に日本に伝えられ、一部の知識人の間で嗜まれた。

当時の茶は「団茶」という茶を固形状にしたものであった。

しかし、国風文化の流れを受け、やがて喫茶は失われてゆく。
抹茶を喫することは中国の宋代に始まる。

この宋風の喫茶を日本に齎したのは鎌倉時代の禅僧、栄西である。

栄西は『喫茶養生記』で茶の健康面での効用を謳った。

喫茶の習慣は、仏前に茶を献じる禅宗寺院や武家社会に次第に広がり、鎌倉時代後期には庶民も趣味的な茶会を楽しむようになった。

やがて、茶は「闘茶」(味で茶銘を当てるゲーム)等の遊びとしての茶道と、中国の豪華な茶器(唐物)を集める美術品鑑賞としての茶道等へとその幅を広めていった。

室町時代には足利義政等により多数の中国茶器が収集され、書院造りの建物に唐物を中心とした喫茶法が武家文化に定着した。
室町時代中期以後、茶をたて客に供する礼法が確立し、村田珠光武野紹鴎らにより草庵の小座敷で質素な茶会が始められた。

村田珠光は唐物を中心とした豪華な茶に反し、粗末な道具を揃え、不完全なもののうちにある美を追求した。

「わび」という言葉を最初に使ったのは武野紹鴎である。

紹鴎は珠光に共感し、16世紀、当時最大の商業都市堺で茶を愛好する町衆の中心的存在であった。

安土桃山時代、紹鴎の弟子、千利休は更に佗茶を主唱して茶の湯を和敬清寂を旨とする悟道的なものにまで高め、茶道としての本質的な大成を遂げた。

利休の佗茶の思想は既成の美観のみならず、世俗的な社会の上下関係も破壊した。

利休の清寂にして激しい茶はやがて秀吉の逆鱗に触れ、自らの切腹を招いた。

初期の茶人としては津田宗達、津田宗及の父子、今井宗久古田織部、細川三斎、金森宗和、江戸時代になって小堀遠州片桐石州らが有名。

利休の激しい茶風を受け継いだ古田織部もやはり切腹している。

利休以後、茶道は道具や茶室に数寄を凝らす大名茶と、利休の系統を継ぐ佗茶の2系統に分かれた。

利休の孫、宗旦は不審庵を三男宗左に譲り、自らは自宅裏に今日庵を営んだ。

今日、庵は四男の宗室が継ぎ、宗左の系統を表千家、宗室の系統を裏千家と呼んでいる。

これに次男宗守が京都武者小路に建てた官休庵に始まる武者小路千家を加えて三千家と言う。

茶道にはこの他多くの流派がある。

家元制度が完成するには江戸時代中期、18世紀のことである。
明治初期、茶道は一時衰退するが、その後美術品収集の流行とともに次第に復興し、昭和に入ると茶道人口の大衆化・女性化が急速に進んだ。

現在茶道人口は数百万とも言われ、日本を代表する伝統文化として国際的にも注目されている。

 

 

 

 

 

華道

 

 

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華道とは、生け花。

日本特有の伝統芸術で草花等を材料として芸術的に生けること、またはその技術。

寺院の仏前の供花、荘厳等の宗教的行事に始まり、草花そのものを観賞する挿花等から、室町時代になって流行した七夕花瓶合、座敷飾等の室内装飾とともに草花の飾り方に技巧と工夫が凝らされ、遂に挿花作品の観賞を目的とするものに発展した。

室町幕府の同朋、僧侶らの間に多くの名手が出て、立阿弥、相阿弥、文阿弥等の同朋衆や、中でも後世の生け花発展の基礎となった池坊の僧専慶の活躍が注目される。

次いで池坊専応、専栄の代には伝書もでき、江戸時代初期には2代専好が出て立華様式を確立し画期的発展を遂げた。

やがて、『替花伝秘書』『立花秘伝書』等の伝書が刊行されて一般化した。

一方、これと並び抛入花も普及。

江戸時代中期には生花が生れ古流、遠州流、宏道流、松月堂古流、石州流、相阿弥流等の流派が次々に現れ、やがて家元制度が確立した。

天・地・人や真・行・草等、三角形の花型が考案され、江戸時代末には未生流も現れた。

明治末期、大正には小原流の盛花、室内装飾を重視した安達式挿花等も現れ、清雅を狙った文人生も盛んとなった。

今日では立華、生花、盛花、瓶華、現代華等、多彩である。

なお、洋風手法のフラワー・デザインは別種のもので、華道には加えない。

 

 

 

 

 

香道

 

 

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香道とは、香を焚いてその匂いを鑑賞する芸道。

室町時代に成立し江戸時代の元禄期に盛行した。

香を焚く習慣は仏教とともに日本に伝わった。

初め仏教儀礼の一作法として香を焚いていたが、8世紀頃から宮廷人の生活に取り入れられて普及。

平安時代に入ると、数人が集って香を焚く薫物合が流行。

この場合は練香が通例。

平安時代末期には、文学的なテーマを香を用いて表現する組香も生まれた。

室町時代には香合等の遊びも茶道の影響を受け、香元の手前や会場での礼儀作法に厳しい規範が定められて、芸道として成立した。

三条西流、志野流等の流派が生まれ江戸時代に引き継がれたが、流行したのは上流社会に限られ、現代では茶道、生け花に比べその普及率は少ない。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

現代でも名前を聞く芸道ですね。

茶道はやったことがありますが、華道と香道はやったことがないので、1度やってみたいです。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!