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国宝茶席三名席って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、国宝茶席三名席について紹介したいと思います!

 

国宝茶席三名席に選ばれたのは、

待庵(たいあん)

密庵(みったん)

如庵(じょあん)

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

待庵

 

 

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待庵とは、京都府乙訓郡大山崎町の禅刹・妙喜庵(東福寺末寺)にある茶室。

国宝。

確証は無いが、江戸時代から千利休の遺構と伝えられてきた。

室町時代の書院(重要文化財)に接続して南向きに建てられ、杮葺き切妻造の前面に深い土間庇を付加している。

書院の縁から延段が土間庇に向かい、飛び石で躙口に導かれる。

内部は二畳隅炉、正面に四尺床を構え、次の間と勝手一畳が付いている。

床は三方を塗り回した室床の形式で、節が三か所もある丸太を框に用い、床の伝統を打破し、侘び茶の主張に徹した構えを工夫している。

床天井が極めて低いのもその表れである。

室内の一隅の柱を消して塗り回し、天井に化粧屋根裏を組み合わせて、狭さを感じさせない卓抜な手法を見せるとともに、下地窓と連子窓の配置を通じて微妙な明暗の分布を追求して、精神性の深い緊張した空間を作り上げている。

そこには利休の理想とした侘び茶の境地が漲っており、侘びの空間造形の極致を示している。

室内の小壁に掲げられている額の文字は、僧芳叔(1735年没)の筆で、昔は利休の文字を刻んだ額があったが失われたと言う。

 

 

 

 

 

密庵

 

 

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密庵とは、京都・大徳寺塔頭竜光院の書院に接続された四畳半台目の茶室で、小堀遠州の好みと伝えられる。

当初は別棟で、二方に縁が巡っていた。

床、違い棚、書院床を備えた四畳半に、台目構えの点前座が付加されている。

世に密庵床として知られる書院床は、当院伝来の密庵禅師の墨蹟をかける為に作られたと言われるが、江月和尚の茶会ではここに付書院の飾りがなされていたことがあった。

違い棚の幕板には、遠州得意の図案である松皮菱と七宝つなぎの透彫りが見られる。

柱は、面皮、丸太、角柱を取り混ぜ、一部に長押を取り付け、釘隠を打ち、壁は水墨画を描いた張付壁であるから、書院造の意匠を基調としている。

ただ点前座は落天井とし、中柱には全体に釿目を施した杉丸太を用いる等、用材と技法の選択を通じて草庵らしさを醸し出している。

国宝に指定されている。

 

 

 

 

 

如庵

 

 

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如庵とは、国宝の茶室。

織田有楽は晩年、京都・建仁寺塔頭正伝院を再興し、隠居所を設けた。

1618年(元和4年)には、庫裡の北方に書院と数寄屋が出来上がっていた。

この数寄屋が如庵であり、円熟した創意と技を注ぎ込んだ有楽の名作として知られる。

正伝院は明治になって永源院と合併され、1908年(明治41年)、如庵は書院、露地とともに東京の三井邸に引き取られ、更に1938年(昭和13年)、大磯の同家別邸に移された。

そして1971年(昭和46年)、愛知県犬山城下の有楽苑に移築された。

入母屋造風な屋根には破風板が打たれて気品に富む佇まいを示し、左端に円窓をあけた袖壁を作り、躙口を正面に現さない構えは、通例の茶室の外観と異なっている。

内部は二畳半台目、点前座の炉先に中柱を立てて板をはめ、火灯形にくり抜いている。

床脇には三角形の地板(鱗板)を入れて壁面を斜行させ、茶道口から客室への亭主の働きを円滑にする等、平面的、立体的構成は斬新で、有楽の豊かな造形力が発揮されている。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

茶室として有名な3つですね。

待庵と如庵は知っていましたが、密庵は初めて知りました。

こういう茶室に1度は行ってみたいと思いました。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!