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日本三大御家騒動って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、日本三大御家騒動について紹介したいと思います!

 

日本三大御家騒動に選ばれたのは、

伊達騒動

加賀騒動

黒田騒動

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

伊達騒動

 

 

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伊達騒動とは、江戸時代前期、仙台(伊達)藩に起った御家騒動

万治3年(1660年)、藩主伊達綱宗が所行の紊乱を理由に幕府から隠居を命じられ、2歳の亀千代(後の綱村)が家督を相続した。

伊達兵部宗勝が後見役となり、藩内の進歩派、原田甲斐と結んで実権を掌握。

それに対し不満を持っていた保守派の有力者、伊達安芸伊達式部宗倫の所領争いが起こり、安芸は藩内の実情を幕府に注進した。

寛文 11年(1671年)、大老酒井雅楽頭忠清の屋敷で裁決が行われたが、安芸は甲斐に殺害され、甲斐は酒井家の家臣に斬られ、宗勝は処罰されて伊達家は安泰となった。

この事件は講談や芝居に脚色され、一般に流布した。

中でも『伽羅先代萩』は有名。

 

 

 

 

 

加賀騒動

 

 

加賀騒動とは、江戸時代中期、加賀藩に起こった御家騒動

第6代藩主前田吉徳が財政の改革に起用した下級藩士大槻伝蔵は藩財政の実権を握ると、家老前田直躬ら一派と対立した。

吉徳の側室真如院は大槻一派と結び、我が子の利和を世嗣にしようとしたが、延享2年(1745年)に吉徳が変死すると宗辰が藩主となった。

宗辰は大槻を排斥し、同年12月、急死した。

同4年、その弟の重ひろが跡を継ぐと、大槻は宗辰毒殺の嫌疑を受け、越中五箇山に幽閉され、寛延1年(1748年)9月、配所で自殺した。

真如院も大槻との密通の事実が明るみに出て密殺され、宝暦4年(1754年)閏2月、大槻の親族、家来五十余名も処罰されて事件は落着した。

これは色々潤色されて歌舞伎、講談、小説等の題材となった。

 

 

 

 

 

黒田騒動

 

 

黒田騒動とは、江戸時代前期、筑前黒田藩に起きた御家騒動

2代藩主黒田忠之は倉八十太夫を重用して専制を行い、幕府の諸侯取り潰し策に口実を与える事件を続発させた。

そこで筆頭家老栗山大膳は、失政を理由とした藩の取り潰しを防ぐ為、寛永9年(1632年)、忠之に逆意がある旨を幕府に訴えたが、対決の結果、忠之が勝ち、除封を免れ藩の危急を救い、栗山は南部藩へ預け、倉は高野山へ追われた。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

あまり日本史の授業では出ませんが、物語としては、度々取り上げられているようですね。

今も昔も身内同士で潰し合うことがあるようですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!