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日本三大銅山って何?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、日本三大銅山について紹介したいと思います!

 

日本三大銅山に選ばれたのは、

日立鉱山

足尾銅山

別子銅山

の3つです。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

日立鉱山

 

 

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日立鉱山とは、茨城県日立市の西部にあった日本鉱業系の日立鉱山経営の鉱山。

天正年間(1573~1592年)に発見され、初め赤沢鉱山と称した。

1905年、久原房之助日立鉱山として開発し、後に日本鉱業が大規模な開発を行い、1973年、日立鉱山として独立した。

鉱床は結晶片岩を母岩とする層状含銅硫化鉄鉱床で多数の鉱脈から成り、充填式上下向き階段掘りによる坑内採掘をしていたが、1981年9月、閉山した。

開山以来の粗鉱量は 3000万tと言われている。

精鉱は日立市大雄院にある日本鉱業日立製錬所で製錬し、銅、金、銀その他の非鉄金属類を生産していた。

大正初期に亜硫酸ガスによる煙害問題が発生し、その対策として1925年に当時日本最高の煙突(155.7m)が建設され、排煙の空中拡散が図られた。

 

 

 

 

 

足尾銅山

 

 

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足尾銅山とは、栃木県西部、日光市足尾にあった銅鉱山。

慶長15年(1610年)に発見、翌年、足尾銅山と称して江戸幕府直轄銅山となった。

銅山は寛文~貞享年間(1661~1688年)の最盛期に年産 30万~40万貫を産し、銅輸出国日本を支える大銅山となった。

その後、幕末、明治初年と衰えたが、1877年、古河鉱業の経営となり、新技術の導入や新鉱脈の発見で日本有数の大銅山に復活。

しかし、優良鉱脈を掘り尽くして急速に生産が減少し、1973年2月 28日をもって採鉱部門を中止、かつての鉱滓再処理や輸入鉱などの精錬が中心となった。

鉱石から精錬された粗銅は日光市清滝に送り、電気精錬された。

鉱石処理に関連し、鉱毒、煙害は周辺の山地だけでなく渡良瀬川下流域の農業に大きな害を及ぼした。

 

 

 

 

 

別子銅山

 

 

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別子銅山とは、愛媛県東部、石鎚山脈の北斜面にあった銅山。

元禄4年(1691年)から住友家により採掘が開始された。

鉱区は新居浜市角野から別子山まで広がり、鉱床は三波川変成岩類の緑泥片岩、石墨片岩、石英片岩等の岩層中に含まれる層状含銅硫化鉄鉱床。

銅を中心に金、銀、亜鉛、硫化鉄鉱を産出。

鉱石は端出場で手選鉱の後、鉱山電車で新居浜市星越へ輸送し、機械選鉱され、四阪島と東予の精錬所へ送られた。

1962年には全長 4455mに及ぶ大斜坑を完成、深部開発と採鉱の効率向上に努めたが、鉱脈の老朽化、枯渇が著しく、1973年、全山閉山。

銅山川上流の旧別子一帯には元禄時代以来の旧坑、溶鉱炉跡、鉱山集落跡等が残存。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

足尾銅山別子銅山は、日本史でも登場しますね。

足尾銅山は、田中正造の件でも有名ですね。

日立に鉱山があるのは、初めて知りました。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!