こんにちは!
今日は、四部合戦状について紹介したいと思います!
四部合戦状に選ばれたのは、
承久記
の4つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
成立年未詳。
原作は鎌倉時代前期の承久の乱(1221年)以前の成立で3巻と推定される。
南北朝時代頃までに増補改修が行われ、6巻(延慶本)、12巻(八坂本)、20巻(長門本)等があり、『源平盛衰記』 48巻も一異本と認められる。
流布本(覚一本系)は 12巻に灌頂巻を添えたもの。
編年体と紀伝体とを併用しながら平氏の興亡を描いた叙事詩的歴史文学。
平氏の運命を無常観によって説き、仏教思想が濃いが、儒教色も著しい。
文章は和漢混交文、七五調を主とする律文と散文とを織り交ぜた詩的なもので、国民的叙事詩とも言われる。
『保元記』『保元合戦記』とも言う。
作者、成立年未詳。
3巻。
『平治物語』と並称され、同じ作者の手に成るとも言われるが、別に成立した作品と思われる。
『平治物語』と同じく異同の大きい種々のテキストがある。
保元の乱を扱った物語で、初めは保元の乱に纏わる逸話を集成したような形態であったものが、琵琶法師等の手によって語り物として抒情性の豊かな一貫した物語に成長したと言われる。
中でも、源為朝の英雄ぶりが印象的で、江戸時代後期の滝沢馬琴の『椿説弓張月』等、後代の文学に影響を与えた。
『平治記』とも言う。
作者、成立年未詳。
3巻。
『保元物語』と並称され、同じ作者の手に成るとも言われるが、琵琶法師の語り物として流布した間に文体が近寄ったもので、元来は全く別に成立した作品であったと思われる。
鎌倉中期の『平治物語絵巻』の詞書が現存テキストとして最古であるが、これと同系統の本文を持ったテキストが鎌倉前期に成立したと考えられる。
物語は平治1年(1159年)12月に起った所謂平治の乱を扱ったもの。
源義朝の子である悪源太義平の武者ぶり、池禅尼による源頼朝の命乞い、3人の幼児を抱いた常盤御前の哀話等は後世に歓迎された。
承久記
承久記とは、鎌倉時代中期の軍記物語。
作者、成立年未詳。
2巻が原型らしいが、色々の異本がある。
承久3年(1221年)に起こった承久の乱の終始を記したもので、乱の原因を後鳥羽上皇の失政に求め、鎌倉幕府軍の破竹の勢いの進撃、相次いで敗れる上皇方の軍勢の行く末等を描く。
最後は、上皇方の首謀者の処分や上皇配流の記事であるが、『平家物語』程には無常感が迫って来ない。
『保元物語』『平治物語』『平家物語』とともに「四部合戦状」の1つで,語り物として琵琶法師により吟じられた。
承久の乱そのものの事実性が軍記物語としての文学性より優っている為、作品としての評価は落ちる。
如何でしたか?
日本史でも登場する4つの戦を題材にした物語ですね。
来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、北条義時が主人公なので、源平合戦と承久の乱が大きく取り上げられるかもしれないですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!