こんにちは!
今日は、三中老について紹介したいと思います!
三中老とは、政事に参与し、五大老と五奉行との意見が合わない時の仲裁役のことです。
三中老に選ばれたのは、
生駒親正(いこまちかまさ)
中村一氏(なかむらかずうじ)
の3人です。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
生駒親正とは、戦国〜江戸時代前期の武将。
大永6年生まれ。
天正15年(1587年)、讃岐(香川県)15万石余りの領主となり、後、高松城を築く。
関ヶ原の戦いでは西軍に属したが、東軍に与した子の生駒一正に免じて許された。
慶長8年2月13日、死去。
78歳。
美濃(岐阜県)出身。
別名に正成、近世等。
堀尾吉晴とは、戦国〜江戸時代前期の武将。
天文12年生まれ。
豊臣秀吉の家臣。
小田原攻めに功を立て、遠江(静岡県)浜松城12万石の城主となる。
慶長4年、隠居。
慶長9年、出雲松江藩主堀尾家初代である子の堀尾忠氏が死去した為、2代を継いだ6歳の孫、堀尾忠晴を補佐し、松江城を築城した。
慶長16年6月17日、死去。
69歳。
幼名は仁王丸。
通称は小太郎、茂助。
名は可晴とも書く。
中村一氏とは、織豊時代の武将。
豊臣秀吉に属し、和泉(大阪府)岸和田城主、近江(滋賀県)水口城主の後、天正18年に小田原攻めの戦功により駿河(静岡県)府中城主となる。
慶長5年7月17日、死去。
尾張(愛知県)出身。
初名は孫平次。
如何でしたか?
戦国武将としても、あまり有名ではないかもしれませんね。
やはり戦国時代は戦で活躍した人物が有名になるので、政治で活躍した人物はややマイナーになりますね。
石田三成も関ヶ原の戦いで西軍を率いていなかったら、有名にはなってないかもしれませんね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!