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亡宋の三傑って誰?

 

 

 

こんにちは!

 

 

今日は、亡宋の三傑について紹介したいと思います!

亡宋の三傑とは、南宋滅亡時に国に殉じた重臣3人のことです。

 

亡宋の三傑に選ばれたのは、

張世傑(ちょうせいけつ)

文天祥(ぶんてんしょう)

陸秀夫(りくしゅうふ)

の3人です。

 

それぞれ簡単に紹介したいと思います!

 

 

張世傑

 

 

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張世傑とは、中国、南宋末の武将。

范陽 (河北省) の人。

元軍の南下に際し、鄂 (がく) 州、黄州の戦いに功を立て、徳祐1 (1275) 年元軍包囲の臨安を解放し、浙西の諸郡を回復し、功により沿江制置副使、次いで保康軍節度使知平江府となったが、翌年臨安が陥落すると宰相陳宜中らと度宗の2王子を奉じて福州に逃れ、更に泉、潮、こう各州と逃れて広東の崖山に移った。

その間、簽書枢密院事から少傅、枢密副使となり、越国公に封じられた。

祥興2 (79) 年元将の張弘範に攻められ、崖山が陥り南宋が滅んだ時、海上に逃れたが,船が覆って没した。

 

 

 

 

 

文天祥

 

 

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文天祥とは、中国、南宋末の宰相。

吉水 (江西省) の人。

字は宋瑞、履善。

号は文山。

宝祐3 (1255) 年進士に及第。

当時増大しつつあった元の圧力に対して終始強硬策を唱え、そのために免官されたが、その後復職。

兵を率いて抗戦に努めたが敗れ、講和のために元軍に派遣された際、逆らったため拘留され、その間に宋は滅亡。

後脱走して度宗の長子益王を助け、宋朝回復に努めたが、敗残の身となって再び捕えられ、3年間入獄、元に下ることを拒否してついに刑死した。

詩人としても優れ、特に獄中での『正気の歌』は有名。

『文山全集』 (20巻) がある。

 

 

 

 

 

陸秀夫

 

 

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陸秀夫とは、中国、南宋末の宰相。

楚州塩城 (江蘇省) の人。

字は君実。

景定1 (1260) 年の進士。

徳祐1 (75) 年宋軍が元軍のため敗れ、多くの属僚が逃亡したが、彼は留まって司農寺丞に任じられ、更に宗正少卿兼権起居舎人となった。

翌年礼部侍郎となり、元軍に使して和を結ぼうとしたが成功しなかった。

度宗の2王子の趙いくと趙へいに従い,、趙いく (端宗) を福州に擁立した。

祥興1 (78) 年端宗が死ぬと、趙へいを立て、右丞相として政を取った。

しかし翌2年崖山で元軍の攻撃を受け、脱出不可能を知り、趙へいと共に海中に投じて死んだ。

 

 

 

 

 

如何でしたか?

 

世界史でも中々マイナーな3人ですね。

南宋は、ドラマや映画でもあまり取り上げられないので、勉強してみたら面白いかもしれないですね。

 

 

最後までお読み頂き有難う御座いました!