こんにちは!
今日は、江戸三箇寺について紹介したいと思います!
江戸三箇寺とは、は、江戸時代に関三刹の配下として江戸府内の曹洞宗の寺院を司った3箇所の寺院で、江戸僧録、江戸触頭とも言います。
江戸三箇寺に選ばれたのは、
総泉寺
青松寺
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
総泉寺
山号は妙亀山。
本尊は釈迦如来。
この寺は当初浅草橋場(現在の台東区橋場)にあり、京都の吉田惟房の子梅若丸が橋場の地で亡くなり、梅若丸の母が出家して妙亀尼と称して梅若丸の菩提を弔う為、庵を結んだのに始まると言う。
その後、武蔵千葉氏の帰依を得、弘治年間(1555年〜1558年)、千葉氏によって中興されたとされる。
佐竹義宣によって再興され、江戸時代には青松寺・泉岳寺とともに曹洞宗の江戸三箇寺の1つであった。
1923年(大正12年)の関東大震災で罹災した為、昭和3年に現在地にあった古刹・大善寺に間借りする形で移転。
その後、合併して現在に至る。
青松寺
山号は萬年山。
江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つで、太田道灌が雲岡舜徳を招聘して文明8年(1476年)に創建。
当初は武蔵国貝塚(現在の千代田区麹町周辺の古地名)にあったが、徳川家康による江戸城拡張に際して現在地に移転した。
しかし、移転後も長く「貝塚の青松寺」と俗称されていた。
長州藩、土佐藩、津和野藩等が江戸で藩主や家臣が死去した際の菩提寺として利用した。
青松寺・総泉寺とともに曹洞宗江戸三箇寺の1つに数えられる。
慶長17年(1612年)に徳川家康が外桜田(桜田門周辺)の地に門庵宗関を招いて創建した寺院。
寛永18年(1641年)の寛永の大火で焼失したが、徳川家光の命で、長府毛利・笠間浅野・鹿沼朽木・丹羽・水谷の5大名により、現在の高輪の地で再建された。
御手伝い普請の大名は菩提寺とする事で徳川への忠誠を示す。
如何でしたか?
東京23区の中にも、歴史ある寺院が多数存在しているので、このような場所を巡るのも面白そうですね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!