こんにちは!
今日は、長崎三福寺について紹介したいと思います!
長崎三福寺とは、江戸時代初期に、長崎に創建された3ヶ寺の唐寺の総称で、唐三か寺とも称されます。
長崎三福寺に選ばれたのは、
福済寺
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
興福寺とは、長崎市寺町にある、日本最古の黄檗宗の寺院である。
山号は東明山。
山門が朱塗りである為、あか寺とも呼ばれる。
1624年(寛永元年)に中国僧の真円により創建された日本最初の唐寺である。
崇福寺・福済寺とともに長崎三福寺の1つに数えられる。
本寺には、福建省・浙江省・江蘇省出身の信徒が多い為、媽祖堂も置かれていて、南京寺とも称せられた。
黄檗宗の開祖隠元隆琦所縁の寺院で、本堂にあたる大雄宝殿は国の重要文化財に指定されている。
福建省出身である隠元が黄檗宗・インゲンマメ等、様々な文化を日本に伝えたことを縁として、黄檗文化交流が行われている。
福済寺
山号は分紫山。
1628年(寛永5年)に建立され、崇福寺、興福寺とともに「長崎三福寺」、更に聖福寺も加えて「長崎四福寺」に数えられる唐寺である。
本寺の檀信徒には、福建省の中でも漳州と泉州出身の華僑が多く、漳州寺や泉州寺と称せられた。
本堂(大雄宝殿)等の建造物は、第二次大戦以前、国宝に指定されていたが、長崎市への原子爆弾投下で焼失した。
大雄宝殿と第一峰門は国宝建築である。
興福寺・福済寺とともに「長崎三福寺」に数えられる。
長崎に4つある唐寺の1つ。
寛永6年(1629年) 、長崎で貿易を行っていた福建省出身の華僑の人々が、福州から超然を招聘して創建。
中国様式の寺院としては日本最古のものである。
福建省の出身者が門信徒に多い為、福州寺や支那寺と称せられた。
如何でしたか?
黄檗宗と聞くと、京都にある萬福寺が印象に残っているので、長崎県に黄檗宗のお寺があるのは、少し意外でした。
学校の歴史の授業は、日本のごく一部しか扱っていないので、各地域の歴史を学ぶとより深みが出ますね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!