こんにちは!
今日は、日本三大名月鑑賞地について紹介したいと思います!
日本三大名月鑑賞地に選ばれたのは、
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
大覚寺大沢池
広沢池の北西方、大覚寺の東側に位置。
大覚寺は元来、嵯峨天皇の離宮であったが、それに付属した池で、中国の洞庭 (どうてい) 湖をかたどったと伝えられ、庭湖とも呼ばれる。
平安時代初期の舟遊びの池として現存最古のもの。
春はサクラ、秋は紅葉が美しい。
北側の名古曽滝跡とともに名勝に指定。
※大覚寺とは、京都市右京区嵯峨大沢町にある真言宗大覚寺派の大本山。
嵯峨山と号し、嵯峨御所、大覚寺門跡と称される。
もとは嵯峨天皇の離宮であったのを貞観 18 (876) 年に寺としたもので、淳和天皇の皇子恒寂法親王を開基とする。
歴代天皇に尊崇され、後宇多天皇もこの寺に住し、中興の祖とされた。
応仁の乱後一時衰えたが、明治維新になって神海、玉諦らの住職によって再興され、独立して大覚寺派と称した。
『不動明王像』を主とする五大明王像ほか、後宇多天皇の宸筆2巻 (国宝) を所蔵する。
周囲 360m。
かつては興福寺の放生池で、現在も放生会にはフナ、コイが放たれる。
池畔のヤナギや興福寺の五重塔が美しい影を映し、コイ、カメなどが多く、俗に魚7分に水3分といわれてきた。
奈良時代、天皇の寵愛の衰えたのを嘆いて、池に投身した采女(うねめ) をまつる采女神社や衣掛 (きぬかけ) 柳が池畔にある。
養老4 (720) 年に興福寺仏殿司が設けられ、七堂伽藍や仏像の造立が相次ぎ、寺観が整備された。
藤原氏一門の氏寺として寺領は増大し、平安・鎌倉時代を通じ春日社の実権も掌握して、南都七大寺の1つとなる。
数回火災にあい、その都度再建されたが、中金堂の一郭は享保2 (1717) 年の火災後再建されていない。
北円堂、五重塔、東金堂、南円堂、三重塔、湯屋などの建造物が現存。
このうち北円堂、五重塔、東金堂、三重塔が国宝。
天平時代の『十大弟子立像』『八部衆立像』、白鳳時代の旧山田寺蔵の『仏頭』、板彫『十二神将立像』、北円堂の『四天王立像』、運慶作の『無着・世親像』、康慶作の『法相六祖坐像』、康弁作の『天燈鬼・竜燈鬼像』など、多数の国宝仏像彫刻を有する。
石山寺とは、滋賀県大津市石山寺辺町にある真言宗御室派の寺院。
西国観音霊場三十三所第 13番の札所。
山号は石光山。
天平勝宝年間 (749~757) 、聖武天皇の勅願による良弁僧正の開基と伝える。
しかし実際は大仏殿建立の用材採集の事務を司る石山院を建てたのが始まりという説が有力。
平安時代に醍醐寺の聖宝、観賢、淳祐らが再興し、公家貴族の崇敬を集め、石山寺詣が盛大に行われた。
平安時代の古式を残す本堂、鎌倉時代の多宝塔 (ともに国宝) などの建造物、仏像仏画、聖教類、『石山寺縁起絵巻』など多くの文化財を所蔵している。
※石山寺縁起絵巻とは、滋賀、石山寺の草創と本尊如意輪観音の霊験説話を絵巻としたもの。
紙本着色、7巻。
石山寺蔵。
第1、2、3巻は 14世紀中期頃の制作で、詞書は石山寺の座主杲守筆、絵は高階隆兼筆『春日権現験記絵巻』の画風に近似している。
第4巻は明応6 (1497) 年の作で、詞書は三条西実隆、絵は土佐光信筆。
第5巻は第1~3巻にやや遅れる 14世紀後半から末期頃の作。
第6、7巻は同寺にあった飛鳥井雅章の詞書に、文化2 (1805) 年谷文晁が絵を後補したもの。
全巻を 33段に分け、観音菩薩の大願になぞらえている。
如何でしたか?
どこの月も美しいですね。
今年も美しい月が見えると良いですね!
最後までお読み頂き有難う御座いました!