こんにちは!
今日は、日本四大寺(奈良時代)について紹介したいと思います!
日本四大寺(奈良時代)に選ばれたのは、
大安寺
の4つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
大安寺
南都七大寺の1つ。
平城遷都に際し、大官大寺を飛鳥から移して大安寺と称したもので、造営には道慈が唐の新様式を取り入れたと伝えられる。
南大門外に東西両塔を配した大伽藍であったが、中世以後衰え、古い建物はまったく残っていない。
第2次世界大戦後発掘調査が行われ、当初の伽藍配置が確かめられた。
また、同寺に遺存する『聖観音』など9体の木像群は、彫刻史上大安寺派とも呼ばれる。
日本最古の寺飛鳥寺を養老2 (718) 年、平城京に移転したもの。
南都七大寺の1つであったが中世に衰えた。
なお当初の僧房を鎌倉時代に改造して本堂、禅室 (ともに国宝建造物) とした極楽坊は、現在、元興寺から独立した寺として同市中院町にある。
真言宗豊山派に属する。
安居院 (あんごいん) 、本元興寺 (もとがんごうじ) ともいう。
もと法興寺、元興寺ともいわれ、平城京に移築後は本元興寺として残ったが、建久7 (1196) 年、塔の焼失後は急速に衰えた。
現在は創建当初の釈迦像 (飛鳥大仏) を安置する安居院が存続する。
推古1 (593) 年には塔に仏舎利が奉安され、同 14年に止利仏師 (鞍作止利 ) 作といわれる丈六の釈迦如来像が安置された。
近年、飛鳥寺跡の発掘調査の結果、南北中軸線上に南から南門、中門、塔、金堂、講堂が位置し、塔の東西にも金堂を配し、中門から回廊が延びて塔と3金堂を包んでいたことが明らかになった。
このような配置を飛鳥寺式伽藍配置と呼んでいる。
南都七大寺の1つ。
天武9 (680) 年、天武天皇が皇后の病気平癒を祈念して創建。
養老2 (718) 年、平城京造営に伴い現在地に移転。
火災などによってその全容は失われたが、奈良時代初期の三重塔 (東塔、国宝) をはじめ、『薬師三尊像』『聖観音像』など白鳳・天平時代の国宝指定の仏像を蔵する。
1976年4月、100万巻写経運動などの勧進により、長く仮堂であった金堂が創建当初の様式で再建され、1980年には西塔も再建をみている。
養老4 (720) 年に興福寺仏殿司が設けられ、七堂伽藍や仏像の造立が相次ぎ、寺観が整備された。
藤原氏一門の氏寺として寺領は増大し、平安・鎌倉時代を通じ春日社の実権も掌握して、南都七大寺の1つとなる。
数回火災にあい、その都度再建されたが、中金堂の一郭は享保2 (1717) 年の火災後再建されていない。
北円堂、五重塔、東金堂、南円堂、三重塔、湯屋などの建造物が現存。
このうち北円堂、五重塔、東金堂、三重塔が国宝。
天平時代の『十大弟子立像』『八部衆立像』、白鳳時代の旧山田寺蔵の『仏頭』、板彫『十二神将立像』、北円堂の『四天王立像』、運慶作の『無着・世親像』、康慶作の『法相六祖坐像』、康弁作の『天燈鬼・竜燈鬼像』など、多数の国宝仏像彫刻を有する。
如何でしたか?
私は、大安寺だけ行ったことがないので、機会があれば行ってみたいと思います!
最後までお読み頂き有難う御座いました!