こんにちは!
今日は、日本三大梵鐘について紹介したいと思います!
梵鐘(ぼんしょう)とは、寺院で、鐘楼に吊り下げ、撞木でつき鳴らす鐘のことです。
日本三大梵鐘に選ばれたのは、
の3つです。
それぞれ簡単に紹介したいと思います!
華頂山大谷寺と号す。
勢観房源智が法然の住した南禅院(大谷禅房)の地に文暦1年(1234年)に堂宇を建立し、法然を開山としたと言う。
足利氏、徳川氏の帰依厚く、寺門が大いに興隆した。
慶長15年(1610年)に徳川家康の奏請によって後陽成天皇の第8皇子良純法親王を迎えて浄土宗の上首となった。
度々火災に遭ったが、現今の堂宇は寛永16年(1639年)に徳川家光が再建したもので、鶯張りの廊下は有名。
『法然上人絵伝』等の国宝を蔵する。
天正14年(1586年)、豊臣秀吉によって創建され、木造の大仏を安置した。
慶長1年(1596年)の大地震で倒壊、慶長7年(1602年)、炎上。
慶長17年(1612年)、徳川家康の勧めにより、豊臣秀頼が再興したが、慶長19年(1614年)、落成供養の際、鐘銘の「国家安康、君臣豊楽」の文句を徳川家康が曲解し、「家」と「康」の字を分断しているのは徳川氏への呪いの文句であると言い、大坂の陣を引き起こしたことは有名。
寛文2年(1662年)、地震で再び仏殿が倒れ、豊臣秀頼が再造した銅の大仏は鋳潰して寛永通宝とされた。
寛政10年(1798年)、焼失。
天保年間(1830~1844年)に仮殿を再建し、半身の木造大仏を安置。
1880年、遺跡に豊国神社を建立し、1884年、鐘楼を建て問題の巨鐘を吊るした。
総国分寺、金光明四天王護国之寺、大華厳寺等と称され、南都七大寺の1つ。
天平年間に聖武天皇の勅願により建立され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養が行われた。
諸国の国分寺の総本山となり、八宗兼学の道場であった。
本尊は毘盧舎那仏で奈良の大仏と称され、国宝に指定されている。
度々兵火に遭ったが、現存の大仏殿(国宝)は元禄年間の公慶上人の勧進により、宝永6年(1709年)に再建された世界最大の木造建築。
境内に戒壇院、勧学院、二月堂、法華堂(三月堂)、三昧堂(四月堂)、開山堂、正倉院等がある。
如何でしたか?
今回の3つは、全て行ったことがあるところでした。
方広寺の鐘は、戦国好きな人には有名かもしれませんね。
最後までお読み頂き有難う御座いました!